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転機を迎えるたびに関係を見直す、卒婚でうまくいっています。

  • 撮影・岩本慶三 文・後藤真子

妻の病気と、夫の単身赴任。ふたりの関係によい変化が訪れる。

議員時代の立美さん。当選直後の鬱状態から、「自分の言葉で思いを伝えていこう」と頑張った。

「専業主婦だった妻が仕事を始めたらがらっと変わり魅力的になりました」(守穂さん)

守穂 中国に単身赴任をした当初は寂しくてね。でもしばらく経つと、楽しくなってきた。家事に自信もついてきたし、自分ひとりで好きなことに時間を使えるから。ひとりって、快適だなと。で、1年経って帰ってきたらこの人もがらっと変わってた。その変わり方を見て、「おっ、いいな」と思って。

立美 そうなの? どう変わった?

守穂 仕事を始めたでしょう。

立美 そうね、予備校の試験問題を編集する仕事でした。私が仕事に熱中すると、子どもたちにも歓迎されました。

守穂 たぶんあなたには支配欲求がある。うるさいもん、一緒にいると。いろんな点で思いどおりにならないと苛立ち始めるでしょ。子どもたちは、お母さんがそういう人だって恐れてる(笑)。僕もそれまで、妻は専業主婦で家にいるものと頭から思っていて、仕事をするというイメージがなかったけど、働き始めた彼女を見て、本当にいいなと思ったんです。で、財布も分けました。この人は自分の収入を全部、自分の小遣いにした(笑)。僕の給料は相変わらずこの人に行くけど、僕も給料以外の印税なんかは自由に使うようにして、財布は3つに。この人が議員になって以降は2つにして、今は完全に2つ。

立美 それまで、夫の給料は家族のものだと思って家計を預かっていたけれど、卑屈な感覚がありました。自分のためにお金を使うのがすごく嫌だった。だけど仕事をして、金額は大きくなくても自由に使えるお金を持てた。もう一つの変化は、子どもの保護者の欄に自分の名前を書くようになったこと。

守穂 僕がいない時期に始めた?

立美 そうそう。だって、いないのに保護者だっていっても、対応できるのは私しかいないのだから変だなと。

守穂 その時の変化が本当に、中学1年の時に教室の真ん中で堂々と着替えていた、あのイメージだったんです。

立美 そうなの?

守穂 「かっこいいな」という、あのイメージが戻ってきた。

立美 知らんかった!

守穂 結婚してからひたすら「よき母、よき妻」みたいな感じだったから。

立美 最初は「よき母、よき妻、よき嫁」を演じていたんです。今思えば、かなり無理してたんですけど。

守穂 この人が生き生きと仕事もするようになって、財布も分けて、この時期はふたりの関係は絶好調でした。

立美 「これからふたりでいろんなことができるね」と、すごく喜んでいた。

「当選した直後、離婚を考えました。でもやはり夫には助けられています」(立美さん)

守穂 ところが2年後くらいです。僕の親の都合で、この人が介護の応援のために、金沢に行くことになった。

立美 何年か東京と金沢を行き来しました。金沢には知り合いがけっこういて、いろんな縁がネットワークみたいに広がっていって、それぞれ点で活動している人たちをつなぐ雑誌を作ろうという話になって。

守穂 創刊準備号から19号まで、6年で合計20号出したよね。

立美 その中で、社会の仕組みが自分たちのやろうとしていることに合わなくなってきているね、という声が聞こえてきて、じゃあ仕組みを作るのは政治だから、そういうことをする人たちをみんなで応援しようと雑誌に書いたら、それを読んだ大学の先生から、県議に立候補しないかと声がかかりました。

守穂 あ、そうだったんだ。

立美 選挙や政治はまったくわからないけど、主婦なら普通の声を届ける懸け橋になれるんじゃないかと……。怖いとか大変とか全然知らなくて、でも出てみたら通っちゃった。それから後が大変だった!

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