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転機を迎えるたびに関係を見直す、卒婚でうまくいっています。

東京と金沢でそれぞれ仕事をし、約15年間の別居生活も経験した広岡夫妻。結婚44年、関係がどのように変化してきたのか、ふたりでふり返る。
  • 撮影・岩本慶三 文・後藤真子
(左)広岡守穂さん 中央大学法学部教授 (右)広岡立美さん

東京都内の一軒家に住む広岡守穂さん、立美さん。一見なんの波風もなく過ごしてきた仲のいい夫婦にしか見えないが、その結婚生活には何度かの大きな転機があり、15年間の別居生活を経験した「卒婚」夫婦だ。

広岡立美さん(以下、立美) 卒婚のイメージって、まだ固まっていないじゃないですか。だから、いろいろな形や受け取り方があるわね。「便宜上、離婚はしないけどパートナーシップは解消」という夫婦もあれば、「お互いを尊重しながらそれぞれに自分の生き方を」という夫婦もあるでしょう。で、我々は、卒婚なのかな?

広岡守穂さん(以下、守穂) そうなんじゃない? 僕たちがしてきたことを「卒婚」と言われてはじめは驚いたけどね。今は「卒婚」って、いい言葉だなあと思うよ。僕にとっての「卒婚」は、夫婦の関係を折あるごとに見直して、ふたりにとってよりよい形に作り直していくことなんだよね。5人の子どもたちを育てていた若い頃とは、まったく別ものの夫婦になったと思う。

立美 そうかもしれない。

守穂 中学1年の時に、はじめて出会ったんです。東京オリンピックの年、1964年です。中学で同じクラスになって、体育の授業の時に彼女が、男の子たちの目を気にもせず教室の真ん中で堂々と着替えていた。それを見て「かっこいい子だな」と印象に残ったんです。いじめをしてる子を怒鳴りつけたりもしていたよね。堂々としていて、正義感が強かった。それで、日曜日に自転車で一緒に出かけるようになりました。

立美 おつき合いしていたとか、そういうのでは全然ないです。

守穂 え、つき合ってたんじゃない?

立美 嫌いではないけど、友だちかしら。高校は別で、会わなかった。守穂は、彼女いたでしょう。

守穂 なんでそれ言うの? で、大学に入って、金沢の町で偶然再会したんだよね?

立美 私の実家が引っ越したから、あなたが帰省した時、新しい住所を尋ねてきたのよ。ところで、その時、高校時代につき合ってた彼女とは?

守穂 大学に入ってすぐ別れました。

立美 あ、そうなんだ。

守穂 だから僕はフリーだったよ。それで、つき合うようになってからはあっという間だった。僕が盲腸で入院して「手術する」って知らせたら、翌朝この人が病院に来ていたんです。この人は富山大学で地元にいて、僕は東大だから東京だったのに。「うわぁ、見舞いに来てくれたんだ」と思って。

立美 あの時、はじめて寝台車に乗ったかもしれない。

守穂 それで、アパートの鍵を渡したら、黙って受け取ってくれて。それきり居ついた(笑)。退院した初日が12月24日、クリスマスイブで、まだ切った腹部が完全じゃないから、こたつで迎えたよね。

立美 うん。

守穂 で、1週間経ったら謹賀新年でしょう。ずーっといたわけです。よく親が認めてくれたよね。

立美 どうだったかな。

守穂 だって、親に嘘ついたこと、なかったでしょう。

立美 確かに。本当に変な子だったので、嘘はつかなかったはず。

守穂 でも赤ちゃんができて、結婚したいと言ったら、僕の親は大反対。それを押し切って学生結婚しました。僕が22歳になる直前で、その年(’73年)のうちに長男が生まれた。

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