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転機を迎えるたびに関係を見直す、卒婚でうまくいっています。

  • 撮影・岩本慶三 文・後藤真子

ドラマチックな学生結婚。やがて、守穂さんの心に変化が。

1976(昭和51)年のクリスマス、長男(右)、長女(左)と。守穂さんはまだ大学生。

立美 私は大学を中退したんです。3年で。同じ大学で妊娠して結婚する子が何人かいて、みんな大学は卒業するって頑張っていたの。でも私は、理科の先生になるコースにいたのですが、実は教育実習に行ったら、先生に「君はやめたほうがいい」と言われて……。

守穂 そうそう(笑)。確かに向いてなかったかも。

立美 大学生活は楽しかったけど、未練はありませんでした。

守穂 僕はいろんな人に責められるんです。なんで大学中退させたのかと。

立美 それは私の意思です。

守穂 うん、その点は全然議論にならなかった。お互い子どもの世話に夢中だった。

立美 「子どもが子どもを産んだ」って、さんざん言われました。

守穂 学生結婚で、親とはうまくいかないから頼ることもできなくて、家庭教師で稼ぎました。家庭教師の予定を詰め込んで、新卒より少しいいくらいの収入を得ていました。

立美 子どもが増えるたびに働き口を増やして頑張ったよね。

守穂 中央大学の助手として就職して、助教授になった時もまだ家庭教師をやっていましたからね。

立美 私は17年間、完全に専業主婦。子どもを5人産んで、いちばん上の子が17歳になって、いちばん下が8歳だったから。

守穂 そして僕はだんだん彼女が……。

立美 干からびて見えたんでしょ?

守穂 いや、言葉は難しいんだけど。

立美 いいよ。

守穂 その頃、僕自身がこの人に対して魅力を感じなくなった時期があるんです。みすぼらしく感じたというか……。ちょうど『「豊かさ」のパラドックス』を出版した後で注目され、編集者やインタビュアーなど、生き生きと働く女性たちに会うことが増えた。僕は頭の回転が速い人が好きなので、気が合うと楽しくて盛り上がっちゃう。ところが家に帰るとこの人が、化粧っ気もなしで「今日、子どもがねえ」とやっている。なんだかなと。糟糠の妻を捨てるってこれか、という心境ですよ(笑)。それにけっこうあなた、愚痴っぽかったよね?

立美 今でも愚痴っぽい。

守穂 ははは。

子育てに追われ、自分が「干からびそう」だと感じていた立美さん、外で会う女性が眩しく見えた守穂さん。そんなふたりの心のすれ違いに始まり、立美さんの大病、守穂さんの単身赴任。いくつかの出来事が夫と妻、それぞれが変わるきっかけになった。

守穂 とにかく、彼女が僕の好きなタイプと真逆になっていくわけです。「仕事してみたら?」とか、積極的に変える努力をすればいいんだろうけど、その頃は思い浮かばない。そんなもんだと思っているんです。

立美 ひどいですよね。女性も仕事をしている時は、仕事の顔でやっているけど、みんな家では別の顔があるのに、そういうのが全然わからないの。

守穂 言われてみると、ホントにね。

立美 そんな時に私が倒れたのよ。お皿が重くてしかたないほど、毎日だるくて疲れてた。そのうち、トイレにも這っていくようになって。肝炎になっていたんです。あの頃は子どもたちの入園、卒園、入学とかがいっぱい重なっていて。いちばん下の子が幼稚園に入れば自分の時間ができるから、それを楽しみに我慢していたの。でもついに倒れて45日間入院したら、夫ががらっと変わりました。それまでも、おしめを替えるとかいわゆるイクメンのお仕事みたいなものはこなしていたけれど、私が入院して「せざるを得ない」となってからは本気で家事をし始めた。

守穂 立美が倒れる前に『男だって子育て』の原稿を書いていて、本にして出そうという話はあったけど、家族みんなに反対された。うちのことを全部外に出すのは嫌だからと。僕は子育ての本という意識ではなく、子どもの成長を観察しているという意識でした。それが思わぬ反対にあい、がっかりしていた。

立美 でも私が病気になって、今死んだら子どもたちに残せるものが何もないと考えた時に、これが本になったら残ると思い、「いいよ」と。翌年、夫が仕事で中国に行ったので、私が編集者とやり取りして出版を手伝いました。

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