「社会から忘れ去られようとしていた彼女を発見したのは岐阜県の織物工場で働きながら夜間に学ぶ短大の女子学生グループでした」
この作品が世に出たことで、としをが社会運動に取り組み、短歌や俳句を詠む知的でアクティブな女性だったことが明らかになる。彼女は学生たちにより〈わたし〉を取り戻したのだ。
「記録の存在を、愛知県の織物工場の歴史研究の過程で知りました。メッセージだと思い、驚くと同時にうれしくて。自分の頭の中に置いておくのはもったいないと」。
それが執筆のきっかけだ。
としをは工場の労働争議に登壇し、食事の改善を勝ち取った。また同時期に別の土地でも、女工が工場から外出する権利を得ている。書名の焼き芋は女工たちが獲得した権利と自由のアイコンだ。
〈外出先は工場近くの商店街や市場であり、彼女たちの楽しみは、そこで工場内での食事以外のものを食べることであった。焼き芋はその代表的な食べ物の一つ〉
食べることは生きること。女たちにはそれを理論立てて求める知性と主体性があった。最近までそれが無きものにされてきただけで。