中宮定子(高畑充希)のいる登華殿の場面は『枕草子』づくしだった。
伊周(三浦翔平)の装束は桜の直衣。当時細い絹糸で織りあげた着物は薄く、裏地が透けるために、貴族たちは表裏で違う色を重ねて調和を楽しんだ。桜とは、表は白・裏は赤、あるいは紫を重ねた衣服を指す。これは『枕草子』第二十段「大納言殿(伊周)、桜の直衣の少しなよらかなるに濃き紫の固紋の指貫、白き御衣ども、上には濃き綾のいとあざやかなるを出して参り給へり」。この一節を思い出す。
隆家(竜星涼)が、帝(塩野瑛久)の御前で緊張する行成(渡辺大知)を鼻で笑う。たった1秒で、彼は帝の御前で緊張する必要がないほど普段から接していること、そして鼻持ちならない驕りが感じられ、見事だった。竜星涼、うまいなあ。
行成が古今和歌集の写しを献上、斉信(金田哲)が越前の鏡を献上。
藤原行成の筆による古今和歌集の写本(曼珠院本)は現在国宝に指定され、京都国立博物館に寄託されている。
伊周が「斉信殿はおなごへの贈り物に慣れておられるのやも」と語りかけているのに、清少納言(ファーストサマーウイカ)が意味ありげに口角を上げるのも『枕草子』づくしのひとつかもしれない。
中宮定子が「少納言。香炉峰の雪はいかがであろうか」と声をかける。香炉峰の雪! まさにこれは平安文学ファンが待ち望んだ、名場面である。
「少納言よ。香炉峰いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。(『枕草子』第二百八十四段)
これは、中宮定子のサロンにおいて、定子と女房たちの、女性ばかりの席でのできごと。
白楽天(白居易)の漢詩『香炉峰下新卜山居(こうろほうかあらたにさんきょをぼくす)』の一節、
「遺愛寺の鐘は枕にそばだちて聴き 香炉峰の雪は簾を掲げて看る」
を踏まえて、中宮定子が清少納言に問いかけ、それを即座に理解し、応じたというものだ。
雪はどうであろうか、と問われたら「積もっております」「やんでおります」などと答えるかもしれない。しかし「香炉峰」と仰ったのだから、御簾を掲げて見せたのだ。
後宮での日々の中で、こうした教養と機知に富んだやり取りができて、中宮はさぞ楽しい時間を過ごしただろう。
さてドラマでは、ちらっと映った、豪華な青磁の壺に白梅の花を活けたものは、これも『枕草子』の第二十段「高欄のもとに、青き瓶の大きなるを据えて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば……」の一節を思い起こさせるし、ずらりと並んだ果物、お菓子。豪奢を極めた後宮の素晴らしさが描かれたが、第15話(記事はこちら)で道長(柄本佑)が関白・道隆(井浦新)に「公の財を以て、中宮さまとその女房たちの装束、きらびやかな調度をたびたび誂えるのはいかがなものか」と物申していたので、これらすべて、財政を圧迫してまで作られた室礼(しつらい)なのだと、心がすっと暗くなる。