「つい最近、納戸を整理していたら姑にもらった、しつけ糸がついたままの訪問着が出てきたんです。鶴と虹の模様が入った鮮やかなブルーの、とってもいい着物。毎朝3時に起きて牛の世話と畑仕事に追われていた姑がこの着物に袖を通すことはありませんでした。姑が長男の嫁にその着物を譲ったという出来事は小説ですが、書き手の私が心を動かされた現実を綴っても小説にはなりません。新たな感情を料理する自分にスポットライトは要らないんですね。頭の中に納戸の様子と姑の着物、帯があればいい。書き手はこの納戸にどんな角度からどんな光をあてたら一番いいのかを考え続けますが、そこに “悩んでいる自分” はいないんです」
実際、令央が試行錯誤しながら書くことで、彼女の秘密には様々な角度から光があたり、自然、思いもよらない、違う見え方が立ち上がってくる。過去に向き合って書くという行為は苦しいものだが、浄化・再生の作業でもあると実感させられる。