『扉の向う側』著者、ヤマザキマリさんインタビュー。「愛すべき側面を持つ人の姿は絵になります」
撮影・山崎デルス 文・合川翔子(編集部)
「愛すべき側面を持つ人の姿は絵になります」
「これまで、どんな都市に住んできたのかということはたくさん書いてきましたが、自分が過去にどんな人と関わってきたのか、細かく触れたものはなかったので、そこに焦点を当てようと思いました」
17歳で単身イタリアに渡り、世界各地を行き来してきたヤマザキマリさんがこのたび上梓したエッセイには、今までに出会ったさまざまな人物が登場する。母国を離れフィレンツェで独り暮らすドイツ人女性や雑貨店の無愛想な店主、4度の結婚をしたブラジルの恋多き男カルロス、何をやってもうまくいかない舅のアントニオ……。
「生きることにスマートではないけれど、ふとした瞬間に覗き見る慈しみ深き面、愛すべき側面を持った人たちです。長い物に巻かれず、独自の人生をちゃんと尊びながら生きていて。簡単に人生礼賛というわけにはいかないけれど、そのなかでも社会と向き合いながら、慎ましく毎日をやりくりしている人たちの姿はみんな絵になります」
自身のイタリア留学も、夫との出会いも、14歳の欧州旅の道中で知りあったお爺さんとの出会いがきっかけだ。人との巡り合わせを感じずにはいられないが、意外にも出会いに対しては閉鎖的だという。
「出会いに期待したり、意図して何かをするのは好きではなくて。だからこそ、印象深い出会いは記憶に刻まれているのだと思います」
昔から人が集まるところに行くよりも、野原で虫を探すことを好んだ。見知らぬ土地で生きるうえでも、虫の存在は大きかったそう。
「哺乳類と違って手懐けられる生き物じゃない。その土地で毅然と、抗わず、命を全うする頼もしい姿が、見知らぬ土地で感じる日々の孤独や緊張を癒やしてくれました」
時代も文化も違うけれど、同じものも持っている。
パンデミック下で日本に長期滞在していた2年半は、ヤマザキさんにとって有意義な時間だった。
「これまで日本における私の異質性と向き合うことはありませんでした。私は低い声で話すので、威圧的だと思われることも。けれどイタリアは意見をしっかり持ち、議論を交わさないと残っていけない社会。必死で身につけてきた、私の生きる勲章だなと思いました」
そして、日本を深く知る機会にも。
「これまで、調和や空気を読むという日本で美徳とされる言葉に違和感がありました。今回、いろんな人の考えや昔の映画、本に触れるなかで、私の話し方同様、そうせざるを得ない土壌がここにはあったということを痛感しました」
人は、相容れないものには、拒絶反応を示しがちだが、それを振り捨て、受け入れる姿勢でいることで見えてくるものがある。ヤマザキさんは本書を、人を通じて見える〝文化人類学〟と話す。
「登場人物は、土地も文化も時代も異なりますが、人としての情や譲れない自分の世界があり、私たちって同じものを持つ人間だとわかります。地球に生きる人として、彼らが抱えるもののなかに、共通する部分を見つけてもらえたら」
『クロワッサン』1106号より
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