『水車小屋のネネ』著者、津村記久子さんインタビュー。「人は全部を持っていなくても、誰かに親切になれるものです」
文・遠藤 薫(編集部)
「人は全部を持っていなくても、誰かに親切になれるものです」
新聞の連載小説という大仕事を前に、津村記久子さんは考えた。1年間という長丁場の連載、前から興味のある鳥のヨウムと水車小屋のことなら書けるかも。
「賢い動物について調べるのが好きなんです。ヨウムはとても賢く、動物好きの間では知られた存在。しかも長生きすると50年ぐらいになるというので長編にぴったり(笑)。水車小屋については以前、中世ヨーロッパの水車についての本を読みました。川の力で粉も挽けるし製薬もできるし、すごくいいなって」
物語は、18歳の理佐が8歳の妹・律を連れて、身勝手な親のもとを出奔する場面から始まる。たどり着いたのは川の流れる小さな町。理佐は小さなそば店で働き始める。
賄いと住居補助つきのその求人には変わった付記があった。〈鳥の世話じゃっかん〉それは店の裏の水車小屋に住む、しゃべる鳥・ヨウムのネネの世話を意味していた。
本書は、ネネに見守られながら成長していく姉妹と、関わる人たちの40年間を縦横に紡いでいく。
そば屋の店主夫婦、律の担任教師、町の人たち。傍目にもおぼつかない暮らしを送る姉妹を、はじめ大人たちは遠巻きにし、親もとに帰そうとする。しかしひたむきに自立をめざす2人を、次第に受け入れ支えていく。全てをひと飛びに好転させてくれる救世主はいないけれど、背中をそっと支えるような少しずつの良心が、じんわりと温かい。
「優しいけれど、極端ではない親切。読者から見て『これなら自分にできないことはない』くらいになるよう心がけました。現実の人間って良い人ばかりでもないけど、すごく悪い人もそうはいない。その濃淡の間でできる程度の親切で、人って生きられるものなんです」
〈誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ〉
親の庇護のないタフな人生を歩む理佐と律。2人と関わる人々もまた、何がしかの欠落を抱えて生きているのだった。子を喪った過去、音楽家になる夢の挫折。誰もが痛みや欠落を抱えたまま、人生は続く。
「人に親切にしたので夢が叶いました、というのは違うと思いました。望んだ何もかもが手に入れられるわけではないし、だからといってそれは不幸ではない。何かを持たないままでいいし、諦めることがあってもいい。人生、すべてのカードを揃える必要はないですから」
誰かの支えが、誰かが外に出る力になることも。
40年の月日の中には、震災など現実の出来事も織り込まれる。町から出ていく人もいる。
「町で育った人物が、周りから分けられた善意によって、外に出ていく力、自分が役立てると思える場所に向かう力を身につける、ということも書きたいと思いました」
〈自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、(中略)出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きてるって。〉
人は欠けたところがあっても、少しだけなら誰かの力になることができる。それはいつか自分の人生をも、照らしてくれるのだ。
『クロワッサン』1092号より
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