本作が公開されたのは1958年(昭和33年)。この頃の映画では、たびたび日舞がモチーフになっていますが、芸を磨けば上へあがれる踊りの世界は、女性に拓かれた数少ないフェアな道だったということなのかも。戦後いくら自由になったとはいえ、女性が活躍できる職種は限られていたわけで、京マチ子のような見るからに才覚あふれる女性が輝くには、芸の世界はもってこい。実力主義の女の園でありながら、「パトロンなしでは成立しない」と割り切ってもいて、窮地に陥るや体でなんとかしようとするヒロインの常套手段が、いま観ると笑えます。けれど現代でも、セクハラ常習犯の権力者たちの常識は、なるほどこのレベルにあるのかと気づかされたり。
華やかであっても欲にまみれた世界で、京マチ子はどんな汚い手を使おうと、不思議と穢れた感じがしません。誰になんと言われてもわが道を行く。悪女もここまでくると、いっそ神々しい存在へと昇華するのです。