認知症の入口に立った母への想い【助け合って。介護のある日常】
撮影・井手勇貴 構成&文・殿井悠子
「母が認知症になってから 見つめ直した、母への想い。 」平井真美子さん
日々の記録を文字で残す日記の代わりに、ピアノでメロディーを綴ってきたピアニストの平井真美子さん。「Dear」は、母親と喧嘩した時に“ごめんね”の代わりに作った曲。何度も同じ旋律が出てくるのは“ありがとう”と“ごめんね”は何度言ってもいいよね、という気持ちから。
「家族の間では、とくにそのことを省略してしまいがち。この曲はいつも私を素直な自分に返してくれます。今ではすっかり、自分の状態をチューニングする曲です」
平井さんの母の育子さんは今、認知症の入り口に立っている。
会話はできるが家事をするのはむずかしくなっていて、仕事一筋だった父親の真一郎さんが代わりに家事を担っている。実家は京都。東京で暮らす平井さんは2カ月に1回程度、自身の活動も兼ねて顔を出す。
平井さんの心は、まだ大丈夫だろうという感覚と、でも、診断は出ているという現実を行き来している。
育子さんは同居する義母の自宅介護をしていたこともある。同居する前は、末っ子の平井さんはいつも育子さんのそばにいた。そのまわりを歳の離れた兄と姉が走り回る。
平井さんが4歳の頃に二世帯暮らしが始まってからは、〝自分だけのお母さん〟じゃなくなった。振り返るとその頃から、素顔じゃない母の顔を見る機会が増えた気がする。
子育てと介護に追われる育子さんの背中を見てきた平井さん。嫌なことがあってもグッと我慢、何もなかったように笑って時が過ぎるのを待つ母親の姿は、気持ちをうまく主張できず笑って誤魔化してしまう自分の嫌な部分を見ているようでつらかった。
「母は、幸せだったのだろうか……」。そう思うことがある。でも今、母との会話で気持ちを確かめようと思っても、ゆっくり答えを考える間を待ちきれずに、つい「こうじゃない?」と代弁してしまう。
「母に対しては期待も甘えもあるので、決めつけたり、言い負かそうとしたり。何歳になっても素直になるのがむずかしい」
〝ありがとう〟〝ごめんね〟――。過去よりも昨日よりも、成長した自分でもう一度奏でる。自分が変われば、そのぶん言葉は違う言葉になる。メロディーも同じ。繰り返しのようでいて、同じものはひとつとしてない。
「いつか、母が本格的に認知症になった時に、できるだけ気持ちよく介護ができるように、ここから先は素直な気持ちで、母とも認知症という病気とも、向き合っていきたいと思います」
『クロワッサン』1116号より
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