くらし

『あなたの燃える左手で』著者、朝比奈 秋さんインタビュー。「国や人を分け、繋ぐ、境界を巡る物語です」

  • 撮影・石渡 朋 文・鳥澤 光

「国や人を分け、繋ぐ、境界を巡る物語です」

朝比奈 秋(あさひな・あき)さん●1981年、京都府生まれ。僻地医療を題材にとった「塩の道」で林芙美子文学賞を受賞しデビュー。2作目「私の盲端」で人工肛門をつけた女性を、 三島賞受賞作「植物少女」で植物状態となった女性と家族を描き、高い評価を受ける。

ある朝、アサトが病院で目を覚ますと、吊り下げられた左腕の先から何かが飛び出て、〈昨日までなかった、何か大きな塊が左腕に埋めこまれた感覚がある〉。

2021年デビュー、今年「植物少女」で三島賞を受賞した朝比奈秋さんの最新作は2020年のハンガリーが舞台だ。

病院に勤務する主人公は、誤診により手を切断され、移植手術を受ける。ドイツで学んだハンガリー人の執刀医、台湾系フィンランド人の理学療法士、ウクライナ生まれのジャーナリストである妻。

小説の内に響くいくつもの声が、ヨーロッパ大陸の広さと狭さを体感させる。同時に、ロシアによるクリミア併合やウクライナ情勢が「移植」に重ねられ、物語の前景へと押し出されていく。

「2014年のクリミア併合が個人的にずっと気になっていました。あれだけ大きな領土がウクライナから独立宣言をして、そのままロシアに併合され別の国に変わってしまった。国境や領土に対する意識を変質させられた出来事でした。あるとき地図を眺めていたら、クリミア半島がウクライナに繋がる手のひらのように見えてきたんです。そこから、数年前に一度書き終えていた、手を移植する男の物語の舞台がハンガリーへ移り、個人の葛藤から、国境を巡る物語へとスケールアップしていきました」

五感を刺す鮮烈なイメージが言葉をまとって小説になる。

「書き出すときにはテーマも展開も決まっておらず、僕自身、どんな小説になるんやろうと考えながら手を動かしていました。1ミリの隙間もなくくっついた国同士が境界を争うように自我を押しつけ合う。境を接しながら馴染むことなく隣り合うその様子が、移植手術を受けた体の状態に似ていると気づく。新たな映像やイメージが降りてくるのを待って書き進める。書いてみては、これはどういうことだろうかと悩み、考えながらなんとか進むと、また別の映像がやってくる。その繰り返しです」

断ち切られ、結合され、拒絶反応を起こし、熱を帯びる。人体と国、心と歴史がアナロジーで繋げられ物語を駆動する。小説の言葉に移し替えられる以前の映像やイメージには、視覚以外の情報も含まれているのだろうか。

「音も匂いも、生々しい感覚もあります。以前『私の盲端』で人工肛門について書いていたときは、へその横がモヤモヤして1カ月ほど下痢に悩まされました。物語が自分の身体感覚に迫ってくるのはしんどい。でも、ことさら身体性を意識しなくても書けるという意味では助けられています。
ただし、新しい映像がやってくるたびフリーズしてしまうので……始終小説のことを考えさせられて生活に支障をきたしますし、勤務医の仕事も辞めざるを得なくなってしまいました。物語を自分の中から取り出せればスッキリするんですが、次に書かれるのを待っているイメージがストックされているので、まだまだ書き続けていくしかないんだろうと思います」

左手の移植手術を受けた主人公。白い皮膚に台形の爪をつけた新しい手に違和感を覚えながらリハビリを始める。 河出書房新社 1,760円

『クロワッサン』1101号より

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