くらし

認知症になった母と祖母、先の見えない介護に光が見えた時【助け合って。介護のある日常】

小川千尋さん「祖母と母と私のいま」(1)
  • 撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子

「空白の4年間を経て、
先の見えない介護に光が見えた時。」小川千尋さん

小川千尋(おがわ・ちひろ)さん(写真左)●東京藝術大学大学院美術研究科修了。画家として百貨店などで個展を開催するほか、視覚、知(シ)ること、描く(カク)ことの3つを核に、日常でアートを楽しんでもらいたいという思いから、子どもから高齢者までを対象にしたワークショップを主宰する(Instagram:shikaku_workshop)。現在、認知症になった祖母と母親を通い介護中。

週末になると、小川家は埼玉にある公民館の一室を借りる。祖母の華樹(はなき)さんと母のひとみさん、弟の裕之さん、千尋さん、時には千尋さんの夫も加わり、その場所を大きなリビングのようにして、それぞれ好きなひとときを過ごすためだ。

「最近、母はここで絵を描きます。絵を教えることを生業にしている私ですが、母に絵を教えられるようになったのはついこの間のことです」と、筆を手に話す千尋さん。

ひとみさんが鬱になったのは約6年前。ひとみさん65歳、千尋さんは35歳だった。

同世代の友人は親の看病とは無縁で、千尋さんは裕之さんと相談しながら、病院を探し、治療を続けた。その数年後、ひとみさんの様子がおかしいので病院に行くと、前頭側頭型認知症に近いという診断。以降、ひとみさんはいろいろなことに我慢が利かなくなった。

公民館で過ごすひとみさん。この日はアクリル絵の具を使って今年の干支・卯をモチーフにした作品を描くことに。
そんなひとみさんを、向かい側で微笑ましく見守る華樹さん。

「高額なものには手を出さないけれど100円均一で抱えきれないくらい物を買ってしまうとか、外でお酒を飲みすぎて道端で寝ちゃって、近所の人に声をかけてもらうとか。正しいことを教わってきた親に、正しい振る舞いをお願いしても通じない。それが、一番もどかしかったです」

まもなく、娘のひとみさんを追いかけるように、同居していた祖母の華樹さんも認知症に。姉弟で2人を介護する生活が始まった。

実家はひとみさんが買い込んだ荷物で溢れ返っていたので、デイサービスやショートステイを利用してゆっくり過ごせる居場所を確保。都内で暮らす千尋さんは、そばにいる裕之さんに事務的なことや力仕事を頼み、自分は食事や衣類の整理などを担当した。

「当時はコロナ禍で、いろいろなことが一気に起きて暗中模索。自身のことは何もできない空白の4年間でした。でも、親の介護を言い訳に何かをあきらめたくはなかったんです。
だから、本当は隠したい現実でしたがオープンにしよう、って弟と話して。近所の警察署に祖母と母の顔写真を渡し、特徴を伝えて『見守ってください』とお願いに行ったり、母の友人と連絡を取ってLINEグループで母の様子を報告し合ったりして、周りを頼るようにしました」

介護は終わりが見えないマラソンのようなもの、と千尋さん。それでも、周りに助けを求められるようになったその時に、一筋の光が見えた。(続く)

『クロワッサン』1104号より

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