くらし

手芸好きの玉鷲一朗関と人気編み物作家の横山起也さんが語り合う「手芸の力」。

  • 撮影・三東サイ 文・矢内裕子

玉鷲 横山さんはどんなきっかけで編み物を始めたんですか?

横山 私は大きな編み物教室の子どもだったんです。
祖母の代には内弟子さんが住み込みでいたくらい。当時はそれだけ手芸や編み物は需要があって、収入になったんですね。
家は横浜の芸者さんがたくさん住んでいるところにありました。
祖母の時代は、芸者さんに頼まれて一晩で長羽織を縫うとか、急ぎの縫い物をすると、大学新卒が稼ぐ1カ月分くらいが工賃として払われたそうです。だけど、祖母は「これからは和裁よりも編み物だ」と思ったんですって。

横山さん持参の「道具箱」。お手製の、指先に乗るほど小さい編みキノコがたくさん。

玉鷲 いつ頃ですか?

横山 戦後、1950〜’60年代ですね。物がない時代だったので、みんな自分で服も作ろうとしていて、編み物もすごく流行ったんです。
そんな家に生まれたので、2歳くらいの頃から編み地を道具で直す作業とかしていて、うまかったらしいです。ただ母親は女の子じゃないと教室を継がせられないと思って、「なんで女の子に生まれてこなかった……」と、悲しんだようです。

玉鷲 でも結果的には編み物を仕事にしたんですね。

5cmくらいの編みキノコは、茶花に見立てて。まわりのコケや植物も編み物作品だ。

横山 自分にも「男が編み物をするなんて」というジェンダーバイアスがありました。
考えてみれば漁師は魚を捕るための網を編んでいたし、船乗りや海軍の軍人などが、長い航海の手慰みに編み物をしていたことも知られています。男性でも編み物をやっていたんですよね。
最近は学校でワークショップをやることもあるんですが、実際に編んでから「性別を意識しましたか?」と聞くと、みんな編むのに夢中で気にしていません。いつの間にか、勝手に思い込みを作っているんです。

横山さんが仕立てた茶箱で、玉鷲関に一服点てる。すべて小ぶりな「旅持ち」の道具はままごとのような愛らしさだ。
侍や漁師、船員や海軍、男性も編み物をしてきた。 歴史を見るとそうなのです。(横山さん)

玉鷲 どうしたら自分が楽しめるのかわからない人もいますね。部屋の若い人を見ていると、携帯を見たりゲームをやるのが趣味だというんですが、時間つぶしが下手だなと思います。

横山 「何かを生み出す」という意味での趣味とは違う気がしますね。

玉鷲 はい。ただ若い人に意見を押し付けてはいけないので、自分からは「もっとこうしたほうがいい」「昔はこうだった」とか、言わないようにしています。言った瞬間に「終わる」かな、と思って。

横山 さすがです。私も見習います。

菓子切りを包むのも編み物。ここにも小さな編みキノコが。

夢中になる時間が自分を作る。今の時代にこそ手芸が必要。

玉鷲 同じ時間の使いかたでも、手芸をしているときは集中していて、時間を忘れてしまいます。手芸をしているあいだは自分で時間をコントロールできる。とても幸せな時間です。

横山 手芸の効用については、東日本大震災の被災者の方に教えられたことがあります。
震災直後、私の母親や先生たちが「編み物で被災地支援をしよう」と言って、編み物を教えに通いはじめて、私も手伝っていました。
ただ原発の関係で住んでいたところを離れている方、家や家族をなくした方もいる。私としてはどこまで手芸や編み物に力があるのか信じられずにいたんです。
そうしたら5年くらい経ったときに、ある方が、「最初はなぜこんなときに手芸なのかと思ったけれど、編み物を始めて本当に助かった」と言ってくれて。
被災した事実は取り返せず、その悲しみと共に生きていかなくてはならないけれど、「編み物をすると嫌なことを忘れられる」って。

編みキノコがいる古帛紗(こぶくさ)に、茶碗をのせて。横山さんの遊び心が楽しい

玉鷲 編んでいるあいだは――。

横山 そう、無心でいられる時間があることで、リカバリーできるものがあります。手芸の力を目の当たりにした出来事でした。

玉鷲 そう思います。

横山さんのブローチ。大根は地面から「収穫」できるという細かさだ。

横山 力士という、闘うことを仕事にしている方が手芸をされることにもとても興味があります。
実はこの冬、私が書いた「編み物をする侍の小説」が出版されます。
史実にあるんですが、幕末、幕府の命令で、大砲を撃つときに使う軍手を武士が編んでいた時期があるんですよ。編み物にはまって、自分の襦袢や股引まで編むようになった侍もいたそうです。闘う「力士」の玉鷲関にとって、手芸はどんな力を持っていますか。

玉鷲 うまく言葉にできないんですが、たとえば誰かを思いやる気持ちとか、逆にモヤモヤしているものも手を動かしていると解消されることがありますね。
作っているものに移るのかもしれない。手芸をしている人にはわかってもらえそうですが、オタクみたいな話かな。

数々のワークショップも開催している横山さん。初代の編みキノコがこちら。

横山 いえ、そうだと思います。玉鷲関は刺繡やフェルトの縫い目だったりするんでしょうが、編み物もひと針がそのときの自分の気持ちを表しています。
イライラしているとうまくいきません。手芸は、物としての実用性から生まれてきたもの。
でも玉鷲関が言ったように、闘っている人がリラックスするためや、やるせない気持ちを表現するものになっているとしたら、それも心に効く「実用性」なのだと思います。

編み物の素材は自由自在だ。これは釣り糸(テグス)を編んだもの。やわらかな明かりが美しい。

玉鷲 そうですね。

横山 私は別に闘う仕事ではないんですが……。

玉鷲 いや、生きているだけでも闘っていることになりますよ。今の人たちは「食べるために生き」ていますね。「生きるために食べる」のではなくて。

横山 逆になってしまっている。でも、最近、手芸もそうですが、いろいろなものをもう一度見直そうという流れもありませんか。

「生きるために食べる」のに「食べるために生きる」に なってしまっているのが今。(玉鷲関)

玉鷲 そうですね。日本はいいところまでいったのに、豊かになって、また戻ってしまったと感じています。力士も同じですが、どん底に落ちると人間は見方が変わります。たとえば照ノ富士は大関からけがで序二段まで落ちて、そこから戻って横綱になりました。すごい努力です。

横山 私たちも苦しい状況を良いほうに変えたいですね。

玉鷲 そのためには自分を正直に見る時間が必要です。

横山 それはまさに手芸の出番です!

片男波部屋の玄関で。浴衣は日暮里の『TOMATO』で気に入った生地を自分で探し、仕立ててもらっている。
玉鷲一朗

玉鷲一朗 さん (たまわし・いちろう)

力士

1984年、モンゴル・ウランバートル生まれ。片男波部屋所属。本名はバトジャルガル・ムンフオリギル。史上2番目の高齢記録で初優勝。前頭三枚目。得意技は「押し」。

横山起也

横山起也 さん (よこやま・たつや)

編み物作家

1975年、横浜生まれ。NPO法人LIFE KNIT代表、オンラインサロン「未来手芸部」部長。著書に『どこにもない編み物研究室』(誠文堂新光社)。

『クロワッサン』1078号より

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