手芸好きの玉鷲一朗関と人気編み物作家の横山起也さんが語り合う「手芸の力」。
男性ふたりが、手芸の魅力について熱く語ります。
撮影・三東サイ 文・矢内裕子
手芸に魅せられるのは女性ばかりではない。
昨年の東京オリンピック・男子シンクロ高飛び込みで金メダルを獲得したイギリスのトーマス・デーリー選手は会場でも編み物を続けてカーディガンを完成、話題になった。
「編み物をすることで精神的なリカバリーができる」というのはデーリー選手の言葉だが、大相撲にも手芸を愛する力士がいる。片男波部屋所属の玉鷲一朗関だ。玉鷲関は見事な刺繡やマスコット作りのほか、料理上手でも知られている。
編み物作家・横山起也さんは子どもたちや被災地の人々に編み物の楽しさを伝える活動を行ってきた。編み図なしで自由に編む「スキニ編ム」を提唱し、〝編みキノコ〟の制作やワークショップも主宰している。二人はどのように手芸に出合い、物作りに熱中するようになったのだろう。
横山起也さん(以下、横山) はじめまして。玉鷲関の作品はもちろん、動画を拝見して、お会いするのを楽しみにしてきました。クリスマスケーキを作ったり、料理も本格的ですね。
玉鷲一朗関(以下、玉鷲) 見てくださってありがとうございます。でもケーキは本番ではいろいろ普段と違うこともあって、失敗しちゃったんですよ。撮影は難しいですね(笑)。
横山 いえいえ、料理がお好きなことが伝わりました。モンゴルのご出身ですが、手芸を始めたきっかけは?
玉鷲 近所に革製品を作る大きな会社があって、そこで余った端切れをもらえたんですね。お母さんがそうした端切れを使って、革のジャケットを作ったりしていました。そういう様子を見て育ったので、物の大切さを学びましたし、6、7歳の頃からなにかしら作っていましたね。
横山 どんな物を作ったんでしょう。
玉鷲 一番最初はぬいぐるみですね。犬とか人形を作ったんじゃないかな。最初は脚も棒みたいにまっすぐで、ダサかったと思います(笑)。人形は裸のままだとかわいそうなので、洋服も作りました。
横山 それは見たいですね。その時の人形は残っていないんですか?
玉鷲 たぶん、残ってないですね。モンゴルでは男性は木を使って道具を作ったり、工作をするんですよ。自分は工作も好きでしたが、女性の作るものにも興味があったんです。同じクラスの女の子に教えたり、作ったものをあげていました。今でも覚えているのは、すごく濃い緑色の犬のぬいぐるみを作ったことですね。
横山 そうした手芸は学校で習うのではなく、家でお母さんがやっているのを見て、覚えたんですね。
玉鷲 はい、教えてもらうより見て覚えるほうがよくわかります。横山さんが持ってきてくれたものも、さっきから「どうやって作るのかな」と考えながら見ていました。
「いいね」「かわいいね」だけじゃなくて、「どういうふうに作るのか」と考えるほうが楽しみがあります。
横山 それはクリエイターの発想ですね。子どもの頃は、材料はどうしていたんでしょう。
玉鷲 洋服や使わなくなったもので作っていました。モンゴルでは物を大切にするんですよ。たとえば日本だとマットは買うものですが、モンゴルでは古い洋服をきれいに重ねて作ります。だからモンゴルのマットは持ち上げようとすると、けっこう重いんです。
横山 皆さん、そうやって身の回りのものを作るんですね。
玉鷲 大抵の人は自分で作りますね。
横山 日本でも東北地方の「襤褸(ぼろ)」が特に有名ですが、衣服に継ぎをあてながら着ていました。布をはいで藍で染めて風呂敷にしたり、おしめや雑巾になるまで大事に使っていたんです。
玉鷲 僕も自分で作ったものは「ありがとう」と言って、形がなくなるまで小さくしてから捨てます。そうでないと、なにか気持ちが残っている気がするから。
横山 手作りのものには思いがこもっている気がしますよね。最近はどんなものを作っているんですか。
玉鷲 家では子どもと一緒に過ごすようにしているので、実は最近はあまり……。物を作るときは集中するから、どんな空間で作るのかが大事じゃないですか。これまでに作ったものだと、たとえばクッションカバーの花の刺繡とか。
横山 すごい!
玉鷲 ステッチの名前もわからなくて、「大体こうなるかな」と考えたままに刺しているんです。だから裏の始末がひどいですよ。
横山 一生懸命、技術を習得しようとすると、そこがメインになってしまって、楽しい感じがなくなってしまうことがあるんです。創作は楽しいだけではないですが、「作る喜び」を忘れてはいけません。玉鷲関の作るものはすごくいい。素敵です。
広告