舞踊家・藤間利弥さんの着物の時間──踊りに導かれた人生。苦労も時間も必要でしたが何の悔いもありません
撮影・青木和義 ヘア&メイク・遠藤芹菜 着付け・奥泉智恵 文・寺田和代 撮影協力・東京都庭園美術館
母と姉の影響で物心ついた頃から着物や和の芸事に浸って育ちました
風の通りを視覚化し目にも体感にも涼やかな紗(しゃ)には、夏の着物の粋が詰まっている。
「衝動買いはあまりしませんが、この着物は15年ほど前に呉服屋さんで一目惚れでした」
過ぎし方の半分以上は着物を着てきた、と語る日本舞踊の師匠、藤間利弥さん(本名・大森美弥子さん)にとって着物は人生の一部。そんな着物達人をして一目惚れさせたのは──。
「まず色。品のいいベージュが気に入って。“紋紗”という透け感のある絹織物も真夏のお出かけやパーティにぴったりでしょう」
裾と袖にあしらわれたハギ、キク、キキョウなどの秋草模様は盛夏の意匠。季節を一歩先取る着物の暦に照らせば、秋のモチーフや紗を身につけるシーズンは7月上旬から装いが秋に替わる重陽、つまり9月9日まで。
「だから着るのはひと夏に1度か2度ぐらい」
着る機会の希少さが夏の着物の価値を一層高める。繊細な華紋が目を引く帯は、着物とは別の機会に「じつはこれも一目惚れなの」。
こちらも透明感のある、綴れ織りとよばれるハリのある夏用の帯。古代中国やペルシャから伝わったとされる花を抽象化・幾何学化した華麗な文様には、エキゾチックで格調高い雰囲気が漂う。
「郷里の呉服屋さんの閉店セールに偶然行き合わせて。パッと目に入った綴れの帯、色、柄すべてが気に入って。セールだし。ふふふ」
終戦前年の1944年、宮城県石巻市の老舗料理屋の次女として生まれた。母や姉の影響で、物心ついた頃には着物や伝統芸能などの和の世界にどっぷり浸っていたそう。
「母と姉はいつも着物姿で小唄、長唄などをたしなんでいました。戦時中したいことも我慢した母が、戦後は自分が好きな華やかなお稽古事を、と考えたのでしょう。私も幼い頃からお琴や三味線に親しみつつ、着物の着付けも二人を見て自然と覚えました」
この日に稽古を始めると実るとされた6歳の6月6日から取り組んだ日本舞踊が、今に繋がる道の起点になった。
「若い頃は踊りで身を立てようとは思ってもいませんでした。人生が変わったのは34歳で歌舞伎関係の事務職に採用されたのを機に単身上京してから。母をはじめ家族は大反対でしたが、東京で将来に繋がる縁に出合うかも、と説得。実際、その後にご縁をいただいた踊りの師匠の内弟子になり、60歳まで務めました」
師匠の稽古場で踊る機会をもらった30代の終わり、上京した母が娘の晴れ舞台に安堵し、喜んでくれた日の感激が今も胸に蘇る。
「あの日の母の笑顔は踊り人生で最も幸せな思い出の一つ。もう一つは、60歳で第一回『利弥の会』を開催したことです。舞踊家として独立し、自主公演したいという夢が叶ったのですから」
今に至る道は平坦ではなく時間もかかったけれど踊りに導かれた人生に悔いはない。
「好きだから続けられた。踊りは技や型をその人なりに解釈した上で表現し、よく踊れたと自分で思えることが一番大切」
若い頃とは違う踊りの円熟みをどう表現していくか。自らの美学を表す着物の着こなしにも似て。82歳、現役舞踊家の挑戦は続く。
『クロワッサン』1169号より
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