「家畜」を国語辞典で引くと「生活に役立てるために飼う動物」とある。うん、まあ、一般的にはその解釈で間違ってない。けど、情熱の家畜学者・遠藤秀紀プロデュースの家畜展は一味違う。「役に立つ/立たない」なんて基準を軽々と超えたヘンテコな家畜の剥製や頭蓋骨や心臓が並んでいるのだった。
たとえばアルゼンチンで生まれた世界最小の馬「ファラベラ」。かつて狭い炭鉱内で荷運びができる馬を作ろうとした名残らしいが、今では何も運べない愛玩馬だ。かわいい! 家で飼いたい!
たとえばイタリアの巨大な牛「キアニーナ」。肩の高さが2メートル近くある剥製は、白いトラックみたいだった。育つのに時間がかかる品種だが、イタリアの頑固な酪農家たちは「この牛以外は育てたくない」と口を揃えるとか。
たとえば北ベトナムの足が太すぎる鶏「ドンタオ」。鶏肉として食べられる部分は少ないし、バランスが悪くてヨチヨチ歩きしかできない。「でも、こいつがいる農村は幸せになるって言われているんですよ」と現地調査をした遠藤先生はうれしそうに説明してくれた。
古来、人は「役に立つ」や「金になる」を追求してきた。家畜の品種改良だって「走るのが速い馬」とか「たくさん卵を産む鶏」とかを求めるのが当たり前。のはずなんだけど、そうとは限らない現実が痛快だ。便利や効率を求めるのも人間、でもって「あんまり役に立たないけどおもしろいやつ」を愛でるのも人間。