くらし

田中裕子の色気に卒倒寸前、 裏『伊豆の踊子』の魔力…。│山内マリコ「銀幕女優レトロスペクティブ」

『天城越え』。1983年公開 の松竹作品。DVDあり(販売元・松竹)

『天城越え』というと、石川さゆりの名曲ばかり有名になってしまいましたが、1983年(昭和58年)に公開された同名の映画も佳作として知られています。原作は1959年(昭和34年)に発表された松本清張によるもの。修善寺から天城山を越えて下田に出る川端康成の『伊豆の踊子』と、ルートは反対、キャラクターの設定も対照的でどうやらかなり意識して書かれているみたいです。

母の情事を目撃したショックから家出し、緑鮮やかな天城山を歩いた14歳の建造(伊藤洋一)。それから30数年後、印刷会社で働く現代の建造(平幹二朗)のパートと過去が切り替わりながら進行します。彼のもとに老いた刑事(渡瀬恒彦)がやって来て、時効になったある殺人事件の話をはじめますが、露骨に真犯人がわかる作りゆえ、本当に描きたいことを隠しているような……。その、本当に描きたかったシーンが、後半に差し掛かったタイミングでたっぷり炸裂します。

あの日、少年建造が、道中に出会った23歳の女ハナ(田中裕子)。朱色の半襟をローブデコルテ並みに抜いてぐずぐずに着崩し、首には白粉、口紅は真っ赤という、凄まじくエロい娼婦風の出で立ちは、童貞(建造)でなくても気がおかしくなってしまいそう。当時28歳の田中裕子は、大正時代のきものが天下一似合うし、演技力は別次元に達しています。建造はハナとデート気分で夜道を歩いていたのに、大人の男が現れ、ハナはひと仕事しに行き……という、あとは言わずもがなな展開が、湿り気たっぷりに撮られています。

冤罪で捕まったハナが、建造をまったく責めずに微笑んだり、ハナに酷い尋問をした刑事が「あの女の死に顔は菩薩のように美しかった」と手のひらを返して讃えだすなど、いろいろと虫のいい話ではあります。童貞ロマンティシズムの極致ではあるけれど、田中裕子の色気によってこっちも正常な判断ができなくなっているせいか、なんかすごくいい映画を観たような深い余韻が残るのでした。

山内マリコ(やまうち・まりこ)●作家。短編小説&エッセイ集『あたしたちよくやってる』(幻冬舎)が発売中。

『クロワッサン』995号より

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