『救われてんじゃねえよ』著者 上村裕香さんインタビュー「絶望の中にある一瞬の光を書きたかった」
撮影・北尾 渉 文・堀越和幸
築50年、8畳一間のアパートに住む沙智と両親。沙智は高校2年生で、難病を患い一人で生活ができない母を介護しながら学校に通っている。父は仕事が忙しく積極的に手を貸そうとはせず、障害年金で趣味のための高額なカメラを買ってくるような“問題のある人”だ。これは本作で、第21回〈女による女のためのR‒18文学賞〉大賞を受賞した上村裕香さんの作品だ。
「私自身、母を介護していた経験があり、作品はそれがヒントになりました。家で母を起き上がらせようとした時、バランスを崩して倒れ込んでしまった。で、なぜかその時2人して笑ってしまったんですよね。何もおかしくないのに、何で笑ったんだろう?って」
作中では、担任の佐藤先生は沙智が排泄介助をしていると聞くと、大袈裟なくらいに同情をしてみせる。けれども……。
「おしっこがしたいというお母さんをトイレに連れて行こうとする沙智は転んでしまい、お母さんは漏らしてしまうんですが、その時にたまたま流れていたテレビの小島よしおの“でもそんなの関係ねえ!”のギャグに、二人は目を見合わせて大笑いしてしまうんです」
通常の介護小説や闘病記では削られていく部分、上村さんはそうしたものを小説にしたかった。
“悲劇”の渦中にある人を本当に救ってくれる言葉は?
狭いアパートで家族で寝ていると父と母はたまにセックスをする。〈「痛い、痛い」お母さんのか細い声が背後で聞こえる〉
父のことも母のことも心の底から嫌えたら楽だ。でも、そんな沙智もBL漫画の濡れ場を、家族に隠れてかじりついて読んだりする。
「ヤングケアラーという言葉には定型的なイメージがあります。が、人間の営みはその枠の中に収まらない。実際にはもっと揺らめきながら生活していると思うんです」
担任や同級生は、かわいそう、大変だったね、と正しい言葉をかけてくれる。でもその言葉は沙智の何にも救ってくれない。
「親元を離れて東京の大学に進学する沙智ですが、元ヤングケアラーのレッテルに反発を感じます。が、その一方では就職活動の時期を迎えて、番組制作会社へのエントリーシートには高校時代の介護体験のことを志望動機に書きます」
それはヤングケアラーの下駄を履きたいからではない。あの介護の時に見た一瞬の光を、笑いを、番組にして表現したいから。他人から見た“悲劇”は当人にとってそのとおりの悲劇とは限らない。
「作品を仕上げるにあたって、一番悩んだのは、自分だったら、介護に追われる高校生の沙智にはどんな言葉をかけられただろう、ということでした」
物語後半、就職を果たした制作会社の先輩ディレクター・町屋さんが、番組に登場した大家族の次男にある言葉をかける。それこそは沙智が求めている言葉だった……。
絶望の中に込み上げてくる一瞬の笑い、その力を信じながら上村さんはこの小説を完成させた。
『クロワッサン』1141号より
広告