『無間の鐘』著者、高瀬乃一さんインタビュー。「心のきれいな人にこの話は響かないかも」
撮影・北尾 渉 文・中條裕子
「心のきれいな人にこの話は響かないかも」
とある人物の語りから、物語は幕を開ける。
江戸は京橋の強欲な金貸しが身を持ち崩す、そんな話を誰かに向かって聞かせているようだ。語り手は修験者(しゅげんじゃ)の扮装(なり)で諸国を巡る自らを、〈この通り見栄えがようございますからねえ。芝居の役者とでも思いなすったか?〉などと称する、若い男だということがわかる。その語り口に乗せられ、読み手は一気に世界に引き込まれてしまう……。
この語り手である十三童子は、遠州の観音寺にあった梵鐘“無間の鐘”を持ち歩きながら諸国を旅しているという。己の願いを込めて撞くと、それが叶う代わり自身は死後に無間地獄に落ち、子は今生で地獄を見るといういわくつきの鐘だ。
「最初は地獄について描きたいなと思っていて。近所の菩提寺に地獄絵図と九相図(くそうず)があったので、『嘘をつくとこうなるんだよ』とずっと子どもに教えていたんです。これで何か話ができないかなと思い調べていたら、無間の鐘についての伝承をたまたま知って」と、高瀬乃一さん。
鐘の伝承を元に、謎に包まれた見目麗しき修験者の語りと共に物語を練りあげていった。
第一章から六章まで、年代や土地が変わりながら登場する人物たちは、それぞれに己の欲を抱えて生きている。一言で欲といっても、その背景にあるのは愛おしい者への執着だったり、自身を取り巻く不幸の源への憎しみだったり。自分ではどうしようもない運命を変えたい、という切実な願いばかりなのである。
「あまり欲深くない人にはこの物語は響かないかもしれない」と、高瀬さん。「けれど、たいていの人はどの登場人物かに気持ちがハマるようですね」とも。やはり全くの無欲、という人間はなかなかいないよう。中には、子どもの純粋で切なる願いも、欲の一つとして一章の主題となっているのだ。
いろいろ人物を登場させすぎて調べものには苦労しました。
「一つずつの話は、江戸の人情噺みたいな感じで読んでもらえればと思って書きました」
そう語るように、老若男女さまざまな年代、職業の江戸の庶民の暮らしぶりが描かれ、その世界に没入できるのも、楽しみのひとつ。ただ、そんな江戸の世を描き出すには苦労もあったという。
「いろんな人を登場させすぎて、そのたび調べないといけないことが出てくるんです。ああ、もう果てしない……となって。苦労したのは廻船。青森の野辺地(のへじ)に昔の弁才船(べざいせん)を復元したものが置いてあるんですが、それを見て雰囲気を頭に入れるようにして。まるで自分がそこにいるかのように想像をふくらませて船の場面を描きました」
一つ一つの章を巡る因果がどこに戻ってくるのか。江戸の読本のようなおもしろさを湛えながら、読後ふと考えさせられる。人間とは?という答えのない問いを発する自分がいたりするのだ。いずれ一筋縄ではいかない、けれど否応なしに引き込まれてしまう、極上のエンターテインメントに違いなし。
『クロワッサン』1118号より
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