『ベイルート961時間(とそれに伴う321皿の料理)』著者、関口涼子さんインタビュー。「ベイルートという街を描いた〝料理本〟です」
撮影・MIKA INOUE(著者) 文・小玉曜子(編集部)
「ベイルートという街を描いた〝料理本〟です」
レバノン料理と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
ひよこ豆や、なすのペーストと薄いパン? パセリやミントにトマト、玉ねぎの「タブレ」? それとも、ひき肉に砕いた小麦を合わせて粉をまとわせて揚げた、小さなメンチカツのような「ケッベ」だろうか?
でも、これは隣のアラブ諸国の料理かもしれないし、ペルシャ語圏のイランの料理はどうだっただろう、と世界の料理に興味がある人なら考えるかもしれない。
料理は近隣の(とも限らないが)国境を越えて、共通の食材、共通の料理法で土地に根づき、その土地の人々の生活に欠かせないものになっていく。それは何かに似ていないだろうか。
フランス語の翻訳家で、この本の著者・関口涼子さんは、料理と言葉の共通性について語っている。
〈食文化は一つの言語のようなもので、材料は語彙に等しく、それが集まって文章としての一皿を作り上げたり、一つの物語としてのディナーを書き上げたりする〉
この本をベイルートの料理の作り方が載っている本かと思って手に取ったとしても、少し読み進めればすぐに読み慣れたレシピ本とは違うということに気づくだろう。
「きっかけは、ベイルート国際作家協会からの依頼で、ベイルートについて一冊の本を書くことを依頼されたことでした。2018年の4月から5月半ばまでの1カ月半滞在し、毎日街を歩き、さまざまな人に会いました。そして、ほぼまだ何も知らないベイルートという街について、料理を通して街の肖像を描くことにしたのです」
このあと、2019年の秋にレバノンでは政府の政策に反対する革命が、さらに2020年夏にはベイルート港爆発事故が起きてしまう。
「爆発によって、街の半分以上の地域が被害に遭い、約30万人の人人が家を失いました。多くの歴史的な建物や、滞在中、何度も通ったレストランやバーが集まる地域も破壊されてしまったんです」
くしくも2つの大きなカタストロフの「前夜」を描いたものとなった本書は、フランス語で出版され、2つの文学賞を受賞した。
台所で聞くとりとめのない話と、人々の暮らしの肖像。
「肉やお米を葡萄の葉で細く巻く料理があるんです。それを鍋に敷き詰めて火にかけ、最後は鍋ごと器にひっくり返すと小さな巻物がぎゅっと円形に並べられた一皿になる。
その葡萄の葉に材料をのせて巻いていく時に、思い出話をしてくれた人もいて。
日本で、秋に母と柚子仕事をすると、とりとめのない話を聞くのですが、そういう、本来は記録されないような話を大切にしたいんです。そんな話がたくさん背景にあって、一冊に仕上がったという気がしています」
これは、革命や爆発事故が起きる前のベイルート滞在日記でもある。
読めば、この街の人のように青いオレンジの実に塩をつけて食べてみたい、街角に溢れるジャスミンの匂いをかいでみたいと思う。幸せなベイルートを旅できる日が来るように願わずにはいられない。
『クロワッサン』1079号より
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