くらし

河童に口裂け女……江戸時代から現代まで、あの妖怪たちに共通するものとは?

口裂け女、河童、化けたぬき……。おなじみの妖怪たちが続々登場。
時代を超えて共通するものとは?
  • 撮影・青木和義 構成・中條裕子 文・嶌 陽子 撮影協力・バックグラウンズ ファクトリー
理科室や音楽室などの非日常的な空間も 妖怪が好んで出る場所のようです。(民俗学者、文筆家 常光 徹さん ・左)トイレの花子さんは、江戸時代の厠(かわや)の 妖怪からずっとつながっているんですね。(國學院大學教授 飯倉義之さん ・右)

妖怪の魅力を掘り下げる対談に、民俗学者であり、全国の子どもたちが夢中になった「学校の怪談」シリーズの作者でもある常光徹さんが登場。妖怪をこよなく愛する伝承文芸学者の飯倉義之さんと共に、江戸時代から現代までのさまざまな妖怪について語り合った。

飯倉義之さん(以下、飯倉) 常光さんは、どうして学校の怪談を集めるようになったんですか?

常光徹さん(以下、常光) 学生時代から能登地方などで昔話の調査をしていたんですが、話を聞ける機会がだんだん減ってきたなと思っていた頃、児童文学作家の松谷みよ子さんから「足元の伝承を見つめてみたら」と言われて。当時中学校の教員をしていたので、生徒たちから噂話などを聞いてみることにしたんです。実際に話を集めてみると、予想以上におもしろくてね。

飯倉 生徒たちがたくさん話を聞かせてくれたんですね。

常光 放課後に話してくれる子もいたし、レポート用紙に書いてくれる子もいましたよ。中でも多かったのが学校を舞台にした怪談。それも、音楽室とか理科室とか、いわゆる特別室での話が多いんです。音楽室にあるベートーベンの肖像画の目が光るとかね。音楽室のピアノや理科室の薬品のにおいなど、音やにおいなどが独特な空間には非日常的な感覚があるのかもしれません。

飯倉 理科室の人体模型が夜に校内を散歩して、最後にプールで足を洗ってから戻るなんていう話も聞いたことがあります。でも、怪談の舞台として多いのは何といってもトイレですよね。

常光 圧倒的に多いですね。「トイレの花子さん」が有名ですが、私が教員だった頃は「紫ババア」とか「テケテケ」なんていう妖怪もいました。ちなみに江戸時代の怪談にも、雪隠(せっちん)(便所)に妖怪や幽霊が出てくる話がよく見られます。たとえば雪隠に行くと下から手が出てくるという話。それが河童で、その手が切られてしまうとか。

飯倉 現代の学校の怪談でもトイレの中から手が出てきて「紙をくれ」と言ったり、「赤い紙と青い紙、どっちがいいか」と聞いてくる話はよくあります。江戸時代の怪談からずっとつながってるんですよね。

常光 トイレが昔の汲み取り式と違って水洗式になった現代でも、いまだに下から手が出てくる話が多いのが不思議な気もしますが。なぜこんなにトイレの怪談が多いんでしょうね。

飯倉 やはり弱点をさらけ出しているところを狙われるというのが怖いんじゃないですか。

常光 そういう生理的な不安は大きいかもしれませんね。つい「下から手が出てくる」と想像してしまうのかも。

飯倉 便器の穴の向こう、もしくは水の向こうというのは違う世界で、そこから妖怪が出てくるっていう想像力も働くんでしょうね。

子どもたちが本気で怖がった口裂け女は、時代の産物?

常光 口承文芸を研究している大島廣志さんによると、戦前までは学校の怪談は「地域の伝統的な妖怪が時々学校に現れる」という話がほとんどだったそうです。座敷童が体育の授業を一緒に受けて、点呼を取ると1人多かったという話が東北地方にあったり。

飯倉 たぬきが夜の学校にやってきて、昼間の音を真似るっていう話もありますよね。

【たぬき】たぬきが化けたり人間をたぶらかしたりする話は古くから伝わる。「狸太鼓をはじめ汽車の音、雨の音など、音を真似ることが多く、音の妖怪ともいわれています」(常光さん)国際日本文化研究センター蔵

常光 トイレの花子さんみたいな、子どもたちの間でオリジナルな妖怪が出てきたのは高度成長期以降じゃないでしょうか。印象に残っているのは1979年に流行った口裂け女です。小学生が中心でしたが、中学生なんかも非常に怖がっていた。私は当時教員をしていたのでよく覚えています。

飯倉 口裂け女は1978年の暮れぐらいに岐阜県辺りから噂が出始めて、翌年にものすごい勢いで全国に広まったんですよね。

常光 私が勤めていた学校でも、中学1年生の男子が教員室に来て、「下駄箱に口裂け女の指紋がある」なんて真面目な顔をして言ってました。

飯倉 それまで学校の怪談は一つの学校の中で完結しがちでした。でも口裂け女は外を歩く存在だった。さらに当時は学習塾通いが本格化してきた時代だったため、噂が学校を超えて広まったという側面もあったのでしょう。子どもたちが夜に塾から帰る途中、昼間には見ないような怖そうな大人も目にするわけで、そういう恐怖心や想像力が口裂け女という存在に注ぎ込まれたんだと思います。

常光 その後も「3人姉妹の末っ子だ」とか「鎌を持って追いかけてくる」など、新たな話が追加されていきましたよね。口裂け女に合ったら「ポマード、ポマード、ポマード」と3回唱えると逃げていくという噂も出回り、下校の途中にある家の塀に「ポマード」と書いていく子どももいたと聞きます。

飯倉 妖怪というのはくさいものが嫌いなんですよね。「ポマード」と唱えるのも、独特のにおいを嫌がるからという理由らしいですよ。

常光 妖怪に合った時の難の逃れ方についての俗信はほかにもいくつかあって、その中に「履き物を頭の上にのせる」っていうのがあるんです。履いているものを頭にのせれば、きつねに化かされたり妖怪にいたずらされたりしないと。これはなぜなんでしょうね。

【きつね】古くから神の使いとして信仰の対象となる一方、人を化かしたり驚かせたりする面も持つきつね。きつねに化かされる話は全国各地にあり、人々はきつねに特別な力を感じてきた。国際日本文化研究センター蔵

飯倉 履き物の下は地面や石なので、そういうものに同化することで妖怪たちが見過ごすということなんじゃないでしょうか。

常光 履き物は大地を踏みしめるものであり、不浄なもの。そういうものを頭にのせることで妖怪たちが手を出さないようにしたのかもしれないですね。ほかにも言い伝えられている魔除けの方法はいろいろあるんですよ。たとえば見越入道(みこしにゅうどう)に出合ったら、物差しで測る真似をするといなくなるとか。

【見越入道】背丈が人の数倍もある坊主の姿をした巨大な妖怪。背後から覆いかぶさり、人の顔を覗き込むといわれている。「物差しで測る真似をすると小さくなるという俗信も」(常光さん)国際日本文化研究センター蔵

飯倉 物差しの目盛りのように、目の多いものは魔除けによく使われますね。神奈川県から山梨県にかけては、節分に一つ目小僧が来るのを避けるため、目の多いざるを玄関の外に立てたりしていたそうです。

常光 物差しで測るというのは相手の大きさを知る行為だから、妖怪の正体が露見してしまう。そうなると人間をたぶらかすことはできなくなります。

飯倉 測る、数えるというのは相手を支配すること。きつねに眉毛を数えられると化かされるから、眉につばをつけて数えられないようにするという俗信があって、「まゆつば」の語源もそこから来ています。全てを理解されるということは、相手の思うがままになるという考えがあるんでしょうね。

常光 妖怪の正体を見抜く方法はほかにもあります。両手の指を組み合わせて、真ん中にできた穴から相手を覗き見る「きつねの窓」や、股の間から覗く「股のぞき」などです。

飯倉 「鶴の恩返し」もそうですけど、細いところから身を隠して覗くと相手の正体がわかるということなんでしょう。もう一つ、妖怪と人間の見分け方というのもあります。妖怪は一声しか返事ができない。山中で誰かに出会って「もしもし」と声をかけて「もし」としか返事が返ってこなかったら、それは妖怪だと。不完全にしか人間の真似をできないといわれているんです。

常光 私の出身地の高知県では、山中で会った人に「誰なら?」と聞くと、もし正体がたぬきだったら「おらじゃ」とは言えずに「うらじゃ」と答えるという話があります。また、高知には一声だけ声をかけてくる妖怪がいるんですが、それに決して答えてはいけないといわれてましたね。

飯倉 応答することは、相手の支配下に入ってしまうことなんでしょうね。

水の恵みと怖さだけでなく、人間生活も映し出す河童。

常光 妖怪の中でもほかと少し違っていておもしろいなと思うのは河童です。河童は人間生活を映し出すところがありますよね。河童の夫婦や親子などの話もよくあります。

飯倉 河童が人間のような社会を営んでいるという考えは江戸時代からあったみたいで、親分と子分の関係も多いんですよね。たとえば利根川には禰禰子(ねねこ)という河童の女親分がいて、流域の河童から年貢を取っているという伝説もありました。

【河童の禰禰子】利根川に住む河童の女親分。流域の河童たちから年貢を取っていたとされる。「人間社会におけるヤクザの親分と子分の関係が河童にも投影されています」(飯倉さん)国際日本文化研究センター蔵

常光 河童は水の恵みと怖さ、両方を表している存在でもある。人間にいたずらもするけれど、火事のときに火消しを手伝ってくれたりもしますから。

飯倉 河童は沼や用水など、人間がある程度管理している水に登場するんです。必要不可欠だし親しいものだけど、落ちたら死んでしまうなど、怖いところもある。人間が管理しきれないという面が投影されているんでしょう。

常光 ちなみに高知県の「えんこう祭り」をはじめ、河童のお祭りがある地域はいくつかありますが、それらは水難除けのお祭りです。

飯倉 河童は四国や中国地方では「えんこう」って呼ばれていたんですよね。水の中にいる妖怪は、地域によって呼称や習性がさまざまだった。「河童」に統一されていったのは江戸時代以降です。ちなみに江戸時代は錦絵の流行もあり、たくさんの妖怪が生まれました。たとえば「髪切り」という髷(まげ)を食べてしまう妖怪もその一つ。髷を食べられるのは江戸の人にとってすごく不名誉なことだったけど、今の私たちにはそんなにピンとこない。この時代特有の不安を表している妖怪の例ですね。

【髪切り】江戸時代に生まれた妖怪。夜中に道を歩いていると、男女問わず髷を元結(髪を束ねる紐)から切り落としてしまう。正体はきつねだという説と、髪切虫だという説がある。国際日本文化研究センター蔵

常光 最近流行ったアマビエをはじめ、件(くだん)や神社姫などの予言獣も江戸時代に生まれた妖怪。豊作や疫病の流行を予言し、自分の姿を見た者は厄災を免れると告げる。予言獣の絵はたくさん残っていて、とてもおもしろいです。

飯倉 予言獣の絵を写して貼ったりすれば疫病を免れるという自己増殖させる仕組みがある。現代のチェーンメールなどの先祖ともいえますね。

常光 江戸末期、予言獣が各地に広がったのは、図像や文字を転写するという行為があってこそ。当時、読み書きや描画の能力を持った層が地方まで広がっていったことが背景にあったのではないでしょうか。

飯倉 当時は「書き写す」という行為が、今の私たちが想像するよりもずっと特別なことだったんだと思います。特に絵を見たり描いたりする機会は今のように多くなかったはずですからね。

常光 そもそも妖怪は容姿がわからないものだった。それが江戸時代に「河童は頭にお皿がある」「天狗は鼻が長い」というように、姿形が与えられていき、それが版本や錦絵などを通じて広まった。そうやって妖怪の共通イメージというのができていったのでしょう。

飯倉 それが漫画やアニメになったりして、現代に至っているんですね。

履き物を頭にのせるという魔除け法もあります。(左・常光さん)妖怪退治には、くさいものが効くといわれてますね。(右・飯倉さん)

常光 今の私たちは妖怪を認識する際、視覚に頼っているところがあると思います。でもかつては聴覚で不思議を認識することが多かったはず。

飯倉 「べとべとさん」「ぴしゃがつく」など、音だけの妖怪も多いですものね。真っ暗な中、何かの音が聞こえるということへの想像力が働いたんでしょう。

常光 暗い中で木がメリメリと音を立てて倒れるとかね。昔の人は今よりもっと音に敏感だったのではと思います。

飯倉 ほかにも生ぐさい風が吹いたり、妖怪に頬をなでられたりと、妖怪は視覚、聴覚のほかにも嗅覚、触覚など、あらゆる感覚を攻めてきます。そうした体や心の根源的なところに触れるような妖怪はこれからも残っていくし、トイレの妖怪みたいに形を変えながらも生き続けるんでしょうね。

常光 人間というのは表の顔と同時に闇の世界を抱え込んでいないと、心のバランスが取れない存在だと思うんです。常に正義やモラルを求められる世の中ではなおさら。だから、妖怪はこれからもいなくならないと思いますよ。

飯倉義之

飯倉義之 さん (いいくら・よしゆき)

國學院大學教授

國學院大學大学院修了後、国際日本文化研究センター機関研究員等を経て現職。口承文芸学、民俗学、現代民俗を研究している。著書に『鬼と異形の民俗学』など。

常光徹

常光徹 さん (つねみつ・とおる)

民俗学者、文筆家

専門は口承文芸、民俗信仰、怪異・妖怪。1990年に『学校の怪談』を発表し、ベストセラーに。著書に『魔除けの民俗学』『疫病と妖怪―アマビエと予言獣』など多数。

『クロワッサン』1100号より

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