くらし

彼は頭がいいけれど。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」

「彼女は頭が悪いから」という小説を読んだ。実際にあった事件を元にした小説で、その事件自体ずっと気になっていた。今年の東大入学式の祝辞でも話題になり、多くの人が読み、その多くの人がとても落ち込んだと思う。

少なくとも、私も高校生までは、この小説ほどではないにしろ、ここで語られているような学力至上主義、容姿至上主義の価値観の中に居た。あの頃の自分はこの小説の登場人物の誰にでもなり得る可能性があったと感じる。

容姿端麗さや学力の高さは、その人の魅力の一つであろうことは否定しないが、私がいた高校生までの狭い世界のような、それが全てだという燃え上がる錯覚は、多くのさまざまな魅力を持った人と知り合う中で、鎮火する。多様な魅力を感じ得る自身のセンサーも、当然成長する。社会人ともなると、一緒に仕事をする人を尊敬できるかどうかは高学歴かどうかなんてことは全く関係ない。この小説の主人公のように、自身が誇りにしている大学の名前が自分を価値ある人間たらしめてると思ったり、女性たちがその名前で寄ってきているという考えは、逆に言えばあまりに自己評価が低すぎるのではないか。小説ではしきりに事件を起こした東大生の自己評価の高さを印象付けていたけれど、彼らが他者を尊敬できないのも、目の前で起こっている現象を自身の目で見て感じて、判断するということができないからで、作者は、彼らの気弱な思考の表現として、自信の無さからくる自己評価の鼓舞を繰り返し見せていたのだろう。

彼らのようなひと昔前のコンピュータ的な計算ができる程度で威張っている人たちが、AIの発達によって、コンピュータ的計算ではAIに到底敵わないことになれば、彼らのからっぽだった心に何かが芽生えるかもしれない。

AIの発達は多少の「恐ろしさ」もあるけれど、心の豊かさを育てていかなければ、生身の人間とAIとの差別化ができない未来が来るかもしれない。人間の豊かさを後押しするAIの可能性に、少しの希望を感じた。

束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/にて。

『クロワッサン』1010号より

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