「軽井沢の美しい森のなかで着物を楽しんでいます。」不動産会社経営・山下てるひさんの着物の時間。
撮影・青木和義 ヘア&メイク・高松由佳 着付け・奥泉智恵 文・西端真矢 撮影協力・葛飾区 山本亭
母と伯母から受け継いだ着物と帯に、私好みの翡翠の帯留を添えて。
「ふだんの私は長靴履きで、軽井沢の森から森へ飛び回っているんですよ」
そう微笑むのは、山下てるひさん。日本有数の別荘地・軽井沢で不動産会社を経営する。売買物件の査定や案内、別荘管理、賃貸の相談など日々の業務はカジュアルな服装でこなすが、顧客との会食、そしてプライベートでは着物をこよなく愛する。その原点は着物好きの母や伯母と過ごした少女時代だという。
「我が家は両親ともに佐賀県人で、特に母方の祖父は医師から実業界へ転じて様々な事業を興した型破りな人でした。衣食住に美意識が高く、妻や娘たちの着物を季節ごとに一枚一枚自ら吟味して選んでいたんです。だから母は大変な衣裳持ち。子どもの頃、『着物広げるよー』と母から声がかかると、家のどこにいても姉と一緒に駆けつけて、たとう紙が開くのをわくわくと見守りました」
一方、父方の祖母も着物を愛し、背の高い女性だったから、残された着物は寸法直しの必要もなく受け継いでいる。今は亡き父方の伯母は博多・中洲のクラブラウンジでピアノの生演奏をしていて衣裳に着物を選ぶことも多く、出勤前に山下さんが髪を結ってあげていた。着物は温かい思い出に満ちている。
そんな山下さんは中学・高校は親元を離れ東京の自由学園で学び、その後は美容専門学校に進学した。当時始めたアルバイトで、着物への愛着と理解はさらに深まったという。
「赤坂、白金、神楽坂などの高級料亭に出向き、和服で接客のアルバイトをしていました。授業が終わると店に駆けつけ、髪から着付けまで30分以内で支度して。母から着付けは習っていましたが、控室で芸者さんやお三味線の先生とご一緒すると、手鏡一つできれいに着ることにびっくり。なるほど、こういうふうに手を動かすのか。お姐さんと違って私はここに皺ができるから、じゃあこっちへ引き上げてみよう、などと日々観察して着付けが早くなりました。今でもしっかりと手が覚えています」
やがて就職、結婚、出産。待機児童問題に直面し、東京脱出を決意する。候補地の一つだった軽井沢の保育園を訪ねた日の凛と澄んだ冬の空気に、ここだと直感した。町内の不動産会社で12年経験を積み、モリデアイを起業。今年で軽井沢生活は21年になる。
「鳥のさえずり、森に降りしきる雪、岩間に咲く花々。ここでは四季の移ろいを肌で実感し、その上で着物を着ることは移住前とはまったく違う体験だと感じます。たとえば古典の桔梗模様。ここでは単なるデザインではなく、自然の中にある姿を日々目にします。四季を愛でる日本の美の感性に、より共鳴しながら身にまとうことが楽しくて」
そう語る山下さんの今日の一枚は、軽井沢の森にも群生する羊歯(しだ)模様の付下げ。
「途絶えていた佐賀の『鍋島更紗』を復興した鈴田照次先生の作品です。祖父が先生と親しく、母の嫁入り道具として持たせてくれた一枚ですが、もともとは明るい緑の地色だったそうです。40代に入ったことを機に母がたたき染で渋めに染め変えたこの色が、今、私も似合う年齢になりました」
帯は、大好きだった伯母がよく締めていた袋帯。宝相華(ほうそうげ)、双鳥模様など古代から愛されてきた意匠を織り出している。着物の地色と響き合う翡翠の帯留で全体を引き締めた。
「売却される別荘の片づけをお手伝いしていると、時々大量の着物が出てくることがあります。『ああ、結局着ないままになってしまったわ』『祖母が亡くなった後、誰も着る人がなくて』と寂しそうにおっしゃる方が多くて。だから、やっぱりしまいっぱなしではいけない。どんどん袖を通さなくてはと思います。軽井沢の四季を感じながら、存分に着物を楽しんでいきたいですね」
『クロワッサン』1129号より
広告