facebook instagram twitter youtube
ビューティー

美容界のリーダー・小林照子さん、ひろ美さんの親子対談。

小林照子さん81歳、娘・ひろ美さん52歳。美容界のリーダーとして常に輝き続けるパワーの源とは? 心にハリを保つ秘訣を聞きました。
  • 撮影・青木和義 スタイリング・春原久子(照子さん)、程野祐子(ひろ美さん) ヘア&メイク・藤枝暁子(美・ファイン研究所/照子さん)、広瀬あつこ(ひろ美さん) 文・大崎京子

小林照子さんが、働く女性の先駆者として本誌に初登場したのは、昭和50年代のこと。子育てをしながら、美容のプロとしてバリバリ活躍する姿は、たちまち話題になった。そして、娘のひろ美さんとの親子対談は1981年(昭和56年)。あれから35年の月日が流れて……。

【2016年】小林照美さん(右)、小林ひろ美さん(左)親子
1981年

小林照子さん(以下、照子) わぁ~、この写真、懐かしい。ひろ美が高校生で、私が40代半ば。連日、商品開発や化粧品のCM撮影で、大忙しの頃ね。

小林ひろ美さん(以下、ひろ美) 朝早く出かけたら、夜遅くまで仕事で帰ってこない。子どもながらに〝パワフルでスゴイ母親だなあ〟と思っていたの。

照子 休みなしで働いていたわね(笑)。

ひろ美 体調が悪くても這ってでも仕事に行く姿を見ていたから、自分は将来、絶対にメイクアップアーティストにはならないぞ、と心に決めていた(笑)。ラジオのDJ志望だったの。

照子 当時は、まだまだ働く女性が少なかった時代。男性社会の中で、やりたい仕事と向き合うのは、大変なことも多かったけれど、毎日が新しい発見の連続で、とても刺激的。楽しくて楽しくて、たまらなかったわ。

ひろ美 外見もほかのお母さんとは全然違う! 流行最先端の服に身を包み、しかもアフロヘア。この姿で保護者会に出席するから、コンサバなお母さんが多い集団の中で、浮きまくっていたのよ(笑)。

照子 いやだ、そうだったのね。気にしていなかったわ(笑)。

ひろ美 小さい頃は仕事をやめてほしい、と思ったこともあるけれど、高校生くらいになると、働いている母親はカッコいいな、と。おしゃれの話もツーカーでできるし、ガミガミと干渉したりしない。娘を信用してくれているんだな、と。

照子 ほんと、我が家はある意味、放任主義だったわよね。

ひろ美 ゴス(照子さんの愛称)はね。もう60年以上も、美容ひとすじで走り続けてきたでしょ? その原点は、やっぱり山口県での美容部員時代?

(注)「ゴス」とは、ポルトガル語の「ゴストーザ」(いい気分)の略。家での照子さんは、「ゴス」「ゴスちゃん」と呼ばれている。

照子 そうね。メイクアップアーティストになりたい一心で、化粧品メーカーの小林コーセー(現コーセー)に入社したの。最初の2年は、山口県内の化粧品店をあちこち回り、1日で100人以上にメイクをしていたわ。

ひろ美 昭和30年代初期といえば、メイクがそれほど浸透していなかった時代よね。

照子 一般の方はおしろいを軽くはたいて、口紅を塗る程度。でもね、その人のチャームポイントを見つけて、ほんの少し手を加えたら、皆さん、見違えるほどキレイになるの。「元気な気分になった」「お見合いがうまくいった」と、うれしい声が続出してね。その時思ったわ。あっ、メイクは人を幸せにするんだな、と。

原点はハッピーメイク。仕事は笑顔で乗り切る!

ひろ美 それが、ずっと提案しているハッピーメイクにつながっているのね。私も子どもの頃から近くで見ていて、いろいろな人がメイクで別人のようにキレイになって、自信をつけて帰っていく姿に感動したもの。

照子 外見が明るくなると、背筋がシャキッと伸びて、心までキラキラと輝くようになるのよ。コンプレックスや悩みまで吹き飛んでしまうの。

ひろ美 メイクの力は偉大だと思う。

照子 でもね、今までとは違うことをやろうとすればするほど、社内の反対も多かったわね。当時は、メイクアップアーティストの私から見て、魅力的な化粧品がまだまだ足りなかったの。それであれこれ希望を出していたら、「だったら、自分で作ってみろ」と。たった一人で、マーケティング部内の美容研究をスタートしたの。

ひろ美 わっ、社内ベンチャー!

照子 逆境になると、ヤル気に拍車がかかっちゃう。色白美人、コンサバのお嬢様メイクが主流の中、小麦色肌の〝クッキールック〟を提案したり、世界初のアイテムとなった「美容液」の開発をしたり。今までの常識をくつがえすアイテムばかりだから、会議の席では、「こんな化粧品が売れるか」と喧々諤々だったわ。

ひろ美 その頃、家には試作品がごろごろと転がっていて、幼い私は、口紅をクレヨン代わりに遊んでいた。

照子 仕事はね、ヒット1本ではダメ、まぐれと思われてしまう。2本、3本と続けてヒットを飛ばし、やっと認めてもらえるのよね。そして少しずつ、味方が増えていく。人を説得する時は、力で押しまくるのではなく、共感してもらうように少しずつ説き伏せていかなくちゃ。あとは笑顔で接すること。

ひろ美 いつでも笑顔でいることの大切さは、小さい頃から教わってきたわ。

照子 40歳の頃かしら? テレビに映った姿を見てびっくり。ハッピーメイクを提唱しているのに、私の顔は、唇がへの字に下がり、クタクタに疲れた不幸の表情。そこで口角をキュッと上げて、楽しそうな表情を作るようにしたら、やがてそれが自然な笑顔に。

ひろ美 まさに、微笑みの形状記憶ね。

照子 笑顔になって、忙しさでギクシャクしていた心が穏やかになると、社内交渉もより一層、スムーズに。だから今も、鏡を見ながら、笑顔のチェックをしているの。これ、大事なことよ。

ひろ美 ゴスは20代から美容道を貫いているけれど、私は、回り道ばかり。「あんな大変なメイクの仕事はしない」と心に決めてはいたけど、やっぱり興味があって。ファッションやフレグランス関連の仕事をしてはいたけれど、一本、シャキッとくるものがない。なんだか、完全燃焼できなくて。

照子 あの頃はいつも、自分のことを中途半端、と言っていたわよね。

ひろ美 母親と同じ舞台に立っても、比べられるだけ。だから、メイクの仕事をあえて避けていたのかもしれないわ。「美・ファイン研究所」を立ち上げようと誘われた時も、何だか、引っぱりこまれた感じだったの。

照子 30代でホップ、40代でステップ、そしてジャンプの50代。ちょうど私が56歳になった頃、34年間勤務したコーセーを退社。人の外見的な魅力「美」と、心の輝き「ファイン」をテーマにクリエイトしていこうと「美・ファイン研究所」の名前をつけた。ひろ美とたった二人でスタートさせたのよね。

ひろ美 美容関連のスタッフがどんどん増える中で、最初の10年間、私一人だけは別世界。翻訳や通訳、ラジオのDJ、スカンジナビアのPRなど、全く美容とはかけ離れた仕事をしていたわよね。まるで、「小林ひろ美商店」って感じ(笑)。

照子 揺れ動いているあなたを真近で見ていたから……あえて何も言わず、強制せず、いつか自分の力で開花する、そんな時期を待っていたのよ。

ひろ美 ゴスは20代から美容道を貫いているけれど、私は、回り道ばかり。「あんな大変なメイクの仕事はしない」と心に決めてはいたけど、やっぱり興味があって。ファッションやフレグランス関連の仕事をしてはいたけれど、一本、シャキッとくるものがない。なんだか、完全燃焼できなくて。

照子 あの頃はいつも、自分のことを中途半端、と言っていたわよね。

ひろ美 母親と同じ舞台に立っても、比べられるだけ。だから、メイクの仕事をあえて避けていたのかもしれないわ。「美・ファイン研究所」を立ち上げようと誘われた時も、何だか、引っぱりこまれた感じだったの。

照子 30代でホップ、40代でステップ、そしてジャンプの50代。ちょうど私が56歳になった頃、34年間勤務したコーセーを退社。人の外見的な魅力「美」と、心の輝き「ファイン」をテーマにクリエイトしていこうと「美・ファイン研究所」の名前をつけた。ひろ美とたった二人でスタートさせたのよね。

ひろ美 美容関連のスタッフがどんどん増える中で、最初の10年間、私一人だけは別世界。翻訳や通訳、ラジオのDJ、スカンジナビアのPRなど、全く美容とはかけ離れた仕事をしていたわよね。まるで、「小林ひろ美商店」って感じ(笑)。

照子 揺れ動いているあなたを真近で見ていたから……あえて何も言わず、強制せず、いつか自分の力で開花する、そんな時期を待っていたのよ。

ひろ美 そして私の転機は37歳の時だったのよ。大学時代の友人と温泉旅行に行き、いつもの肌の手入れをなにげなくアドバイスしたら、皆に感激されて……。「そういうことを教えてほしいのよ」「あなたの家は、お母さんが美容家だから特別なのよ」と。その言葉を聞いて、すべてが吹っ切れて。あっ、私でも役に立つことがあるんだと。

照子 遅咲きの花だったけれど、それからは、エンジン全開だったわね。

ひろ美 ゴスは美容のプロを育てるのが仕事でしょ? だったら私はまねせず、キレイになりたい一般の人たちのために、お金をかけずに、美しくなる方法を追求しようと。目指す道が見つかったら、気持ちがラクになったの。

照子 ずっと悩んでいたのを知っていたから、明るくはじけて輝く姿を見て、自分の居場所を見つけたんだなぁと。

ひろ美 やっと自分のポジションがわかり、地に足をついて歩けるようになったんだもの。考えてみたら私は3歳から、ホットタオルで肌を蒸し、乳液をつけていたでしょう? 子どもながらに気持ちいいと感じた肌の手入れを、今度は私が皆に伝える番なんだ、と。

照子 今ではあなたは、よきビジネスパートナー。お世辞じゃないわよ。

『クロワッサン』938号より

●小林照子さん 1935年、東京生まれ。’91年に「美・ファイン研究所」を設立。商品開発、後進育成、講演など活動は多岐にわたる。

●小林ひろ美さん 1964年、東京生まれ。スプーンでの顔パッティング等、独自のメソッドが話題に。テレビや女性誌で活躍中。

文字サイズ