くらし

捨てられない人やその家族へ。背中を押す10の言葉。

モノとの関係に向き合ってきた山本ふみこさんと大平一枝さんが、捨てられない人やその家族に向け、捨てマインドになる言葉をお届け。
  • イラストレーション・いえだゆきな

モノと別れる せつなさは、チャンス。

思いきって捨てるのは大変です。けれどもあるときには、大変な思いをすることも大事。もう捨てたくない、こんなせつない思いをしたくない、という思いを自らに刻みつけるのです。

持ち過ぎの連鎖を止めないと、自分に用事のないモノ、一度も使わないモノ、好きでないモノを持っていても平気な人になっちゃいます。そしてそれがずっとずっとつづくのです。

人と人が別れても、人はあたらしい縁(えにし)を結ぶことができるし、別の人生をはじめることができますが、モノたちはそうはゆきません。あなたと別れたモノたちには、よほどのことがない限りあたらしい縁も、別の人生もないのです。

「捨てる」は辛いかもしれないけれど、モノとのつきあい方、持ち方を変えるチャンス、でもあります。せつない思いをして手放すことで、自分の「好き」が見えてきますし、もっと云えば自分の「生き方」「暮らし方」を決められます。

ーー山本さん

持ちグセを知って楽になる。

収納カウンセラーの同行取材で、忘れられない光景がある。小学生女児二人がいる4人家族で、家中のバッグを出してもらうと百個あった。子どもの習い事用、塾用、水泳バッグやママの愛読誌のノベルティ、あちこちでもらうエコバッグも入れて全部で百。驚きつつ、ひとごとではないと青くなった。

以来、当時のカウンセラーの助言を胸に、物を処分するときはこんな自問自答をしている。それ1年間で何回使った? 似合わないからってオフ用にしたけれど、使ってる?

そのうちとりわけ洋服について、自分の厄介な持ちグセに気づいた。着心地が悪かったりサイズが合わなかったりすると、部屋着として溜めこんでしまうのだ。肌に合わないものはどこであろうと着ないのに。

きっと前述のママも、バッグに持ちグセがあったのだろう。ノベルティや無料サービスに弱いなどなど。

整理でいちばんの問題は、じつは「シンプルに暮らせない自分」への呵責かもしれない。持ちグセがわかると、処分のものさしができて死蔵品が減る。すると自分を責めずに済み、心にも住まいにも、心地よい余白ができる。

ーー大平さん

モノとの関係は人づきあいと同じ。

モノを捨てられない、手放せないというはなしをどれだけ聞いてきたことか。ほんとうにモノを大事にしている人は、自分が向き合える数だけ持って、慈しみあって、助けあって暮らしています。これ、人間関係と似ていますね。

モノはわたしにとって、友だちみたいな存在です。

友だちをたーくさん持とうとは思わないし、べったりもしたくありません。モノだってそうです。ただ「持っている」だけのモノたちは、長いこと話もしていない、共同作業もしていない、アタシのこと忘れちゃったのかな、とさびしがっている(怒っている)かもしれません。

「それじゃどうすれば、必要なものだけ持って暮らせるようになるのか」ですって? そりゃあ、一度は決心して「手放しなよ!」です。

「ありがとうね」「(捨てること)ごめんね」と言葉をかけながら捨てるのです。そうしないと持ち過ぎの連鎖は止まりません。

ーー山本さん

ワクワク、スッキリ。どちらも必要だ。

捨てられない、買い物好き、新しい情報好き、整理ベタ。これ、全部現在の私である。

だから物を持つとき、整理の決めごとを人より意識して持たねばと心がけている。きっと、シンプルに暮らしている人の多くは、わざわざ決めなくても、元から自分が心地よい持ち物の分量を知っているのだと思う。

数々の失敗を繰り返した結果、物を減らすという作業は、買う・もらうという〝インプット〟の時点を見直さない限り、うまくゆかないと気づいた。自分が気持ちよく暮らせるベストな定数を、靴や洋服、コスメはもちろん、紙袋や空き瓶の保存まで決める。誰だって買うときはワクワクして、捨てるときの切なさやうしろめたさなど想像できないものだ。でも、定数があれば、自動的にふんぎりがつく。魅惑的な物と出会ったら、既存のどれとスイッチできるかという発想になる。

私はこのルールのおかげで、ふたつの小さなハッピーを得られるようになった。新入りのために、はみ出たものを処分してスペースがスッキリ。惚れ込んだものを迎え入れてワクワク。あー、またいたずらに増やしてしまったという罪悪感ともサヨナラできる。ただ「足す」のではなく、プラマイゼロにする買い方が、整理ベタの自分を繕う鍵である。

ーー大平さん

【夫へーー】

アクションには共感が前提。

我が家では、物量に関して夫の趣味の領域にふみこむのはNGだとようやくわかってきた。親は上下関係があるが、夫婦は対等だ。ルールを作るときも互いにノータッチの部分を尊重しあうほうがうまくいく。夫は特撮映像が好きでDVDやフィギュアが山のよう。それらをいくら持ってもいい。そのかわり私の器や服にはノータッチ、としている。

いっぽう彼は、その他のものにはこだわりがないので、傘でも下着でも安く適当なのを何も考えずにしょっちゅう買い足す。これには、きっちりルールが必要だ。「捨てよう」じゃなく、買うときに「いいものを買おうよ」と言う。間に合わせでない良質なものは長持ちするし、本当に気に入って買ったものは直してでも最後までまっとうする。だから捨てるときのことを考えて買おう、と。

ルールは共感がないとアクションにつながらず、意味をなさない。だからこそ、ていねいな説明を。

ーー大平さん

「持ち方」の感覚を共有する言葉を。

「モノにも住所があります」

夫と暮らしはじめたころ、わたしはこう云ったのですって。

それは、すべてのモノに置き場所を決めるという意味です。

「すっきり暮らすのが、ボクも好きなんだなと気がついたのは、新鮮だったな。そのためにそうか、モノの住所を決めることからはじめるのか」

これが当時の夫の感想だったとか。

それまでモノの持ち方について考えたことがなかったし、「手放す・捨てる」も意識しなかったため、とくに仕事上の書類、資料類はたまりにたまっていたといいます。いまは、夫の持ちものもひとつひとつ、みんな住所を持っているそうですよ。

「モノを持たずにすっきり暮らす」感覚を共有したかったわたしが、夫にまずモノの置き場所を決めよう、と提案したのは成功だったかな。いきなり「捨てる」「手放す」をすすめるのは、相手の領域に踏みこみ過ぎだと思ったんです。

ーー山本さん

【親へーー】

まずは、モノがない心地よさを。

夫の母はモノを捨てない人でした。

仲よしでしたが、「捨てなよ!」なんてことは云えませんでした。

けれど、こんな思い出があります。台所の脇の小部屋にお菓子の箱、包み紙、ひもやリボンなどがどっさりたまっていたのです。

「お母ちゃん、ここ、ちょっと整理してもかまわない?」

そう云って、片付けはじめました。やり出すとわたしは、止まりませんからね。10分の1くらいまでに減らしました。

「あらまあ、何にもなくなっちゃったわね」

と云いながらも、母は笑っていましたよ。たまには、少し乱暴なことをしてもいいんだなと思いました。あのとき母は、小部屋に空間が生まれたことに驚いたり、おもしろがったりしていましたっけ。わたしという人(片付けたがり)を知ってもらったうれしさも残っています。

それから。空き箱、包み紙の類は整理の出発点だと、わたしは考えています。親世代とも、このあたりの片付けから手をつけるといいのじゃないでしょうか。

ーー山本さん

親には理屈より行動で。

先日、実家に3年ぶりの帰省をした。すると、玄関や床の間に置き物がどっさり増えていた。横幅7、80センチの水牛の角の横に鉄兜。その横に壺と琴。3年前は、鉄兜だけだった。なんでも、家を売却予定の親戚から譲り受けたという。

老夫婦のふたり暮らしに、この飾り物は多すぎる、床の間が狭く見える、もしものことがあったら処分に困ると最後は身もふたもないことを言ったが、「どれも大事だし、私達は困っていない」と意に介さない。

老後は身軽に、などという正論をどんなに言っても自分ごととして受け取らない。言葉に窮していると、母が反撃に出た。

「そんなに言うなら、あれどうにかして」

私の結婚のときに親が誂えた箪笥と鏡台の3点セットだ。マンション購入時、狭小を理由に、詫びつつ送り返したものだった。

夫と相談し、翌日、鏡台だけ車で持って帰ることにした。親に意見をするなら、自分がまず一歩引かねば。先人に、年若の者が一方的な正論で諭すのは親であっても失礼だよなと率直に思った。プライドを尊重すべし。その後、片付けが進んだわけではないが、これ以上持たないほうがいいと、伝えやすくなったのは収穫である。

ーー大平さん

【子へーー】

意外に難しい「任せきる」の、大きな効果。

ふたりの子どもには、部屋の整理で散々小言を呈してきた。しかし、本人が主体的に考えない限り、永遠にスッキリすることはない。物の処分や片付けの習慣は、教えるものではなく、完全に自主性に任せたときに初めて、自発的に育つものだと次第に悟った。

いつ見ても洗濯物やサッカーグッズでぐちゃぐちゃだった長男が目に見えて変わったのは、1年の交換留学を経てからだ。生活の全てをひとりで切り盛りする日々によって、自然に持ち物の淘汰や見直しの習慣が身についた。
安いコスメやファストファッションが好きで、持ち物が多い娘には、「この部屋は掃除を含めて、あなたに任せる、ただしここからはみ出さないで」という姿勢を通した。
ときどきコートだけでも預かって欲しいと言ってきたが、「入らない分は処分を」と却下。日中窓を開けて風を入れたり、ついでに掃除機をかけたくなるが、少しでも手を出すと「任せた」ことにならない。
完全に空間を委ねられたとき、子どもは自然に心地よさを追求しだす。自分がどうされたらやる気になるか。自分の中の子どもを思い出すと良さそうだ。

ーー大平さん

誰かの言葉を借りてみる。

母は子どものころからわたしの耳元で、ささやき続けました。まるで呪文のように。

「整理のコツは捨てることと持たないこと」

じつはわたしは片付けられない子どもでした。母の呪文が効いたのでしょうか、実家を出た途端、片付けたがりに変身したのです。

この話を3人の娘たちに幾度も聞かせてきました。それが作用したものか、3人ともモノを持ちたがらない大人になっています。「整理のコツは捨てることと持たないこと」が祖母の言葉だというのがよかったのかもしれません。

かの幸田露伴も、娘である幸田文に向かって、モノの扱い方や持ち方を教えようとするとき、「ドイツの女性はこうなのだよ」という云い方をしたそうです。親から子へ何か伝えるとき、距離をとって、たとえば誰かの言葉を借りると受けとめやすいのかもしれませんね。

ーー山本さん

文・山本ふみ さん (やまもと・ふみこ)

随筆家

『家のしごと』(ミシマ社)など著書多数。長女とのおしゃべりを発信する『うんたったラジオ』も人気。

文・大平一枝 さん (おおだいら・かずえ)

文筆家

市井の生活者を描くルポやエッセイを執筆。近著に『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。

『クロワッサン』1083号より

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