『キャベツ炒めに捧ぐ』や『リストランテ アモーレ』をはじめ、井上さんの小説には料理が多く登場し、その印象的な描写には定評がある。そうした表現は、やはり自身の食の経験から生み出されているのだろうか。
「自分が食べることが好きなので、登場人物を造形する時、こういうシチュエーションだったらこの人は何を食べるだろうと考えると、一番うまくその人を表せるんです。たとえば、ものすごく悲しくて全然食欲がない時、これだったら食べられるというものは人によって違うはず。カップ麺とか、気合を入れてフルコースを食べに行くとか、それともお茶漬けでちょっと落ち着くか。そういうのが、私は小説的に面白いと思ってしまうのです」
外食時以外は、基本的に自分で食事を作るという井上さん。「料理の本を読むのが趣味と言ってもいいくらい」と話すとおり、自宅には使いこんだレシピ本がたくさんある。近年、よく見て活用しているのは、料理家のウー・ウェンさんと、長尾智子さんの本。
「お二人の料理はシンプルで、手のかけどころがはっきりしているところが共通点。料理の本には書いた人の哲学が出ているから、相性がありますね。自分の中ではブームもあって、ほかの料理家の方のレシピ本に注目していた時期もあります。毎日料理しているとマンネリ化してくるから、たまに新しいレシピ本を読んで、『あ、これ食べたい』ということがないとね」
自身でレシピつきのエッセイなどを出版する気持ちはないか聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「いえ、そこまでは。誰かがもし自分と同じくらい作ってくれるなら、やってもらいたいタイプです。おいしいものが食べたいから必要に迫られて作っているだけ。食いしん坊なんです」