その主人公がある日会社を辞めることになる。仕事には誇りを感じている。嫌気が差したわけではない。給料だって恵まれている。ではなぜか? そのあたりのあわいを読むのが本作の妙味でもある。
次の勤め先の都合で5カ月の休暇が突然目の前に訪れた。果たして彼はそれをどう過ごすのか?
五ヶ月の休暇、を取れる人間はどれくらいいるのだろう。という書き出しで小説は始まる。
「タイトルのサバティカルとは旧約聖書に出てくるsabbati
cusにちなんだ言葉です」
sabbaticusとは6日間を働いた後の7日目の安息日のこと。これに由来して、一部の大学やヨーロッパの企業などでは長期勤続者に対してまとまった休暇を与えるという制度を設け、それをサバティカルと呼んでいる。
主人公の梶大樹(かじだいき)は勤続11年のエンジニアである。仕事は忙しい。
「システムの不具合があれば昼夜問わず地方に出向くし、休日でも普通に呼び出される。僕もデビュー前にエンジニアをしていたことがありまして、作品はその経験が下敷きになっています」
その主人公がある日会社を辞めることになる。仕事には誇りを感じている。嫌気が差したわけではない。給料だって恵まれている。ではなぜか? そのあたりのあわいを読むのが本作の妙味でもある。
次の勤め先の都合で5カ月の休暇が突然目の前に訪れた。果たして彼はそれをどう過ごすのか?
長期休暇にあって、梶の目に映るのはまず非日常の風景である。
「非日常といっても旅行などの特別なことではありません。同じ環境でも時間帯により人の風景が変わる。たとえばそういうことです」
平日の昼の公園で将棋を指そうと誘ってくる老人は、ある意味、日々を忙しくしているものにとってはファンタジーだろう。そしてその老人には若かった頃の自分の過ちが原因で生き別れた娘がいるという。老人を“師匠”と呼びならわすようになった梶は、ある日、娘の消息を確かめることを、長期休暇の『To Doリスト』に加える。
ところで、と中村さんは言う。
「仕事ってすごいと思う……」
どういうことか?
「仕事だからできるということだってあるし、それに今の世界の仕事は高度に分業化されているではないですか。そこには物語が入り込む余地がなかなかない」
仕事=日常、から期間限定とはいえ離れた主人公はまるで未知の時間を開拓するようでもある。
日課にした絵を描く趣味に別れた彼女の面影を重ね、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を手にとり、そして師匠の娘、大村香奈と知り合い、交流を深めていく。
〈そうした非日常の種は、本当はあちこちに落ちている〜中略〜今ここで留まれば日常だが、半歩、踏みだせば非日常になる〉
「何かささやかなことがあってそれが契機や気付きになる、というモチーフが好きです。サバティカルというぼんやりとした時間だからこそ得られる見えない自分の姿、そういうものは誰にでもあると信じてこの作品を書きました」
実は梶にはある悩みがある。それで彼女を失ったとも信じている。が、サバティカルの終わりに、ついに彼が得るものとは……。
『クロワッサン』1001号より
※ 記事中の商品価格は、特に表記がない場合は税込価格です。ただしクロワッサン1043号以前から転載した記事に関しては、本体のみ(税抜き)の価格となります。