肺結核の療養のため退社後、復帰にあたり、塾のチューターとフリー編集者の二足のわらじを選択するなど、なかなか波乱万丈。「3年経っても食べていけないなら郷里に帰る」「基本的になんでもやるが(当時は野暮ったかった)オーガニックもののデザインをよくするため、おしゃれな仕事を率先する」など先を見越したルールを設定。紆余曲折を経て編集長として雑誌を軌道に乗せてからも、売りすぎず適正な部数で完売とする、拠点を東京から岐阜に移すなど、常に現状を吟味し、より自分が良いと判断したほうへ進む姿勢はすがすがしい。
「振り返ったら道は1本だったという感じです。私があまり器用じゃないこと、最初から恵まれた環境でなかったのが、逆によかったのかも。現状の社会になじまないと感じるなら、そこに自分らしさを発見する好機があるのだと思います。本当に求めている道を見つけられれば、必ず自分で切り拓けます。理解者もきっと現れる」
出版業界が話の中心だけれど、職種が違っても、読者は自分にあてはめて考えを巡らせる。若い頃にしてみたかったことを思い出したなどという主婦からの感想も多く寄せられているという。