『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』著者、大島真寿美さんインタビュー。 「半二は書いていて、本当におもしろかった」
撮影・黒川ひろみ(本)大嶋千尋(著者)
時は江戸中期、ところは大坂。芝居小屋が立ち並び、賑やかにのぼりはためく道頓堀に生を受けた男の生涯が鮮やかに描き出された物語である。後に、近松半二として知られる少年は、“浄瑠璃狂い”の父に連れられ、幼い頃から竹本座に入り浸るようにして育つ。縁あって大作家・近松門左衛門愛用の硯を譲り受け、浄瑠璃の世界にどっぷりと浸かって生きていく。作者である大島真寿美さんに半二との出会いについて聞くと……。
「実は、半二本人ではなく、彼の書いた『妹背山婦女庭訓』に惹かれたのが最初。もともと好きだった歌舞伎を題材に小説を書くよう言われていたのが、4年前にこの演目を観て、これなら書けるかもと思い、改めて文楽で観たんです。その時に人形遣いの桐竹勘十郎さん演ずるお三輪ちゃんを目にした瞬間、『これでいける!』という謎の確信が湧いてきまして」
そこから資料を集め小説の連載をスタートし、その間には自ら義太夫を習うほど、浄瑠璃の世界にのめり込んでいったのだという。
自分の中ではすべて本当のこと。 そう思いながら書きました。
「書いている間、仕事の感覚があまりなかった気がするんですよね。一日中資料を読んだり、書いているのがあまりに楽しくて」
そんな中から、再びこの世に産み出された近松半二は、道頓堀を生き生きと動き回り、時に苦しみ時に楽しみながら、次々と作品をものしていく。まるですぐ傍らで見ていたかのような描写である。
「私、これ本当に全部見えていたんです。だから、嘘を書いているつもりが1ミリもなくて」
それが事実だったかどうかを今、確認する術はないけれど、私にとっては、すべてが事実だったし現実でした、とも。そして、
「『一緒に渦に巻き込まれていたよう』という感想をよく聞いて。読む人も一緒に巻き込まれるということは想像していなかったから、それは驚きでした。今でも、どういうものを書きあげたのか、わからない。それは時間が経たないと理解できないのかな」
と語るが、同じ台詞をまさに『妹背山婦女庭訓』を書き終えた半二がつぶやいていたのである。半二と大島さんが渾然一体となって物語を作り出す、それを共に体験できる醍醐味がここにある。そもそも、半二はハナから華々しく活躍するわけでない。幼なじみで後に歌舞伎の狂言作者として名を馳せる並木正三の成功に複雑な思いを抱き、人形遣いの大御所である吉田文三郎に書きあげたものを何度も辛く添削され続ける。紆余や曲折を経て、悩みもがきながら進んでいくのである。そうまでして半二が生涯をかけた、人形浄瑠璃とはなんだったのだろうか。
「人形は人間とは異なり、夾雑物がなくピュアな存在だからこそ、物語の核に迫れるのです。表情がないはずの人形が泣いたり笑ったりする、浄瑠璃の宇宙ともいえる世界を、ぜひみなさんにも直に体験してもらえたらと思います」
『クロワッサン』999号より
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