「書いている間、仕事の感覚があまりなかった気がするんですよね。一日中資料を読んだり、書いているのがあまりに楽しくて」
そんな中から、再びこの世に産み出された近松半二は、道頓堀を生き生きと動き回り、時に苦しみ時に楽しみながら、次々と作品をものしていく。まるですぐ傍らで見ていたかのような描写である。
「私、これ本当に全部見えていたんです。だから、嘘を書いているつもりが1ミリもなくて」
それが事実だったかどうかを今、確認する術はないけれど、私にとっては、すべてが事実だったし現実でした、とも。そして、
「『一緒に渦に巻き込まれていたよう』という感想をよく聞いて。読む人も一緒に巻き込まれるということは想像していなかったから、それは驚きでした。今でも、どういうものを書きあげたのか、わからない。それは時間が経たないと理解できないのかな」
と語るが、同じ台詞をまさに『妹背山婦女庭訓』を書き終えた半二がつぶやいていたのである。半二と大島さんが渾然一体となって物語を作り出す、それを共に体験できる醍醐味がここにある。そもそも、半二はハナから華々しく活躍するわけでない。幼なじみで後に歌舞伎の狂言作者として名を馳せる並木正三の成功に複雑な思いを抱き、人形遣いの大御所である吉田文三郎に書きあげたものを何度も辛く添削され続ける。紆余や曲折を経て、悩みもがきながら進んでいくのである。そうまでして半二が生涯をかけた、人形浄瑠璃とはなんだったのだろうか。
「人形は人間とは異なり、夾雑物がなくピュアな存在だからこそ、物語の核に迫れるのです。表情がないはずの人形が泣いたり笑ったりする、浄瑠璃の宇宙ともいえる世界を、ぜひみなさんにも直に体験してもらえたらと思います」