『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』著者、ヤマザキマリさんインタビュー。「周りと違う生き方を選べたのは母の影響」
本撮影(P.94~97)・中島慶子
撮影・岩本慶三
戦後、まだまだ女性が自立するのが難しかった時代。深窓の令嬢リョウコは、その生活を自ら捨ててヴィオラひとつで北海道の地に降り立った。大好きな音楽で生きていくという意志のもと、ここに誕生する新しいオーケストラの一員となる道に賭けたのだ。ほどなく結婚するものの夫に早逝され、幼い娘2人を抱えたシングルマザーとして北の大地で誰にも頼らず生きていく――。このリョウコとは、ヤマザキマリさんのお母さんだ。本書はリョウコさんの波瀾万丈な一代記。
「『テルマエ・ロマエ』がヒットした時、インタビューを受けるたび『そもそもなぜ(執筆のきっかけの)ヨーロッパへの一人旅を14歳でしたんですか?』という話になって。『母に行かされました』と答えると、皆さん驚いて『お母さんはいったい何者なのですか?』と」
これは一度書かないといけない、と始めた連載が足掛け6年にわたり、このたび1冊にまとまった。
リョウコさんの仕事は帰宅が遅い。時には演奏旅行で何日も家を空けることも。2人の娘を置いて出ることを近所の人に咎められる場面は胸が痛いが、彼女は、娘たちに「ごめんね」とは言わなかった。
〈音楽家としてのリョウコに、母親らしい時間を割かせることはなかなか難しかったし、私も彼女にそれを望んではいなかった。そして、やりたいことに全身全霊を注いで生きるリョウコにも、後ろめたさはなかった。だから、私のなかにくよくよする性質が育まれることもなかったのだ〉
「母が深刻な事態でも悩まない人だったのは私にとってすごくラッキーでした」とヤマザキさん。
「近所の人に叱られてもお金がなくても常に『なんとかなるわよ』と楽観しているんですよ。周りから何を言われても気にしないし、人と比べない。それが子どもにとってどれだけ救いになったか」
その美点は、17歳でイタリアに留学したヤマザキさんが、未婚のまま乳飲み子を抱えて帰国したときにも発揮される。
〈一瞬の驚きの後に「孫の代までは私の責任だ」と満面の笑みで言い切ったリョウコ〉
「びっくりして、でもうきうきうれしそうでした。『新しいことが始まるぞ!』って。苦労して、人生は思いどおりにはいかないことを体現してきた人だからでしょう」
今日びの、SNSを通して誰かの生活や育児がキラキラして見えがちな世の中で、リョウコさんの自分の人生に真摯に向き合う姿は勇気をくれる。
前書きにはこうある。
〈鼻息荒く駆け抜ける野生の馬のように自分の選んだ仕事をし、子供を育ててきた一人の凄まじき女の姿を思い浮かべてもらうことで、自分や子供の未来に対してどこまでも開かれた、風通しの良い気持ちになってくれたら〉
エッセイの合間にコミックがちりばめられていて、物言うごとにカッ!と目を光らせるリョウコさんのキャラクターが痛快だ。爽やかな「朝ドラ」のような物語をぜひ。
『クロワッサン』992号より
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