でもこの噺は、待望の男の子に長生きしてもらいたい一心でたくさんの“めでたい名前候補”を全部つけてしまった父親・八っつぁんのあふれんばかりの親心、その結果起こってしまう馬鹿馬鹿しい騒動――そんなトンチンカンな世界を一生懸命に生きている人々の姿がほほえましいんです。言葉のはずみや意表をついたギャグで笑いを追うより、馬鹿みたいだけど親の愛がある風景にクスッとできたほうが奥行きのある楽しみが得られるように思えます。
そんな日常の一場面を高座で描けたら“落語日和”どころか“噺家冥利”です。でも落語が豊かで懐が深いのは、これが正しい答えだよなんて誰にもわからないところ。落語家が百人いれば百の、お客さん千人いれば千の、“楽しい寿限無”があるかもしれません。