暮らしに役立つ、知恵がある。

 

広告

古墳の時代(2)──東京国立博物館主任研究員・河野正訓さん×文筆家・譽田亜紀子さん

古墳と共に作られた、数々の個性あふれる埴輪たち。当時の暮らしや社会の様子を生き生きと今に伝えてくれます。

撮影・青木和義 文・嶌 陽子 構成・中條裕子

「古墳島田」と呼ばれる髪型で女性を表現。重要文化財「埴輪 盛装女子」群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土/古墳時代・6世紀。考古展示室にて2027年7月4日まで展示中
「古墳島田」と呼ばれる髪型で女性を表現。重要文化財「埴輪 盛装女子」群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土/古墳時代・6世紀。考古展示室にて2027年7月4日まで展示中

「埴輪から当時の暮らしが見えるのが面白いです」
左:河野正訓(かわの・まさのり)さん  東京国立博物館主任研究員。明治大学古代学研究所の研究推進員を経て、2014年、東京国立博物館に入職。専門は古墳時代の考古学。共著に『はにわのヒミツ』(新泉社)など。

「なぜこれを埴輪に?と思うものも時々あります」
右:譽田亜紀子(こんだ・あきこ)さん 文筆家。岐阜県生まれ。土偶や縄文時代を軸に、弥生、古墳時代のさまざまな文化に精通し、その魅力を発信中。著書に『知られざる古墳ライフ』(誠文堂新光社)など多数。

数多くの古墳が作られた3世紀半ば〜7世紀。それは一体どんな時代で、どのような暮らしや文化が営まれていたのだろう。東京・上野にある東京国立博物館にて、研究員の河野正訓さんと文筆家の譽田亜紀子さんが、展示されている埴輪や副葬品などから、古墳の時代を読み解く。

譽田亜紀子さん(以下、譽田) こちらの考古展示室の埴輪の展示は、いつもずらりと並んでいて壮観ですね。

河野正訓さん(以下、河野) 定期的に展示替えもしています。私は「笑う男子」(下画像)が好きです。笑顔がかわいいんですよね。笑顔には喜びの表現や魔除けの意味があるとされています。

展示されている数々の埴輪の中で目を引く笑顔。「埴輪 笑う男子」群馬県伊勢崎市 赤堀村104号墳出土/古墳時代・6世紀(中央)。こちらと下3点は考古展示室にて2027年7月4日まで展示中
展示されている数々の埴輪の中で目を引く笑顔。「埴輪 笑う男子」群馬県伊勢崎市 赤堀村104号墳出土/古墳時代・6世紀(中央)。こちらと下3点は考古展示室にて2027年7月4日まで展示中

譽田 口角が上がっている埴輪って珍しい気がします。実は私、埴輪の目が少し苦手で。空洞のような目に吸い込まれそうな気がすることも。

河野 古墳は昼間だけでなく、夜も見るものだったことがポイントです。かがり火が焚かれると目がさらに引き立ち、魔を除けたのかもしれません。

譽田 おさらいすると、埴輪とは古墳の周囲や上に置かれたもの。人形のものがよく知られていますが、ほかにも家や道具、動物など、多様ですよね。

河野 初期は円筒形の埴輪が作られていたのが、やがて死者の魂が宿るとされる家形埴輪が作られ、長く中心的存在になった。その後も道具、人物や動物など、だんだん種類が増えていき、大陸から馬が導入された5世紀ごろから馬の埴輪も作られました。

譽田 埴輪の役割については諸説あるようですが……。

河野 私は死者の鎮魂のためだと考えています。埴輪によって役割は違っていて、たとえば円筒埴輪は「聖域」を示す目印、武器や武具の埴輪は悪いものが古墳に入らないように守る魔除けだともいわれています。

時代とともに埴輪も多様化──古墳時代初期から、最も多く作られたのが円筒埴輪。古墳を取り囲むようにして大量に並べられた。「円筒埴輪」奈良県天理市 東大寺山古墳出土/古墳時代・4世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
時代とともに埴輪も多様化──古墳時代初期から、最も多く作られたのが円筒埴輪。古墳を取り囲むようにして大量に並べられた。「円筒埴輪」奈良県天理市 東大寺山古墳出土/古墳時代・4世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
円筒埴輪の次に登場、その後、埴輪の中心的な役割を担い続けた家形埴輪。被葬者の魂が宿る場所などを表現。「埴輪 切妻造家」群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
円筒埴輪の次に登場、その後、埴輪の中心的な役割を担い続けた家形埴輪。被葬者の魂が宿る場所などを表現。「埴輪 切妻造家」群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
5世紀頃に大陸から持ち込まれた馬も、やがて埴輪のモチーフに。飾り馬具がついた馬は、統治者のステータスシンボルでもあった。「馬形埴輪」群馬県藤岡市白石字滝出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
5世紀頃に大陸から持ち込まれた馬も、やがて埴輪のモチーフに。飾り馬具がついた馬は、統治者のステータスシンボルでもあった。「馬形埴輪」群馬県藤岡市白石字滝出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
時代とともに埴輪も多様化──古墳時代初期から、最も多く作られたのが円筒埴輪。古墳を取り囲むようにして大量に並べられた。「円筒埴輪」奈良県天理市 東大寺山古墳出土/古墳時代・4世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
円筒埴輪の次に登場、その後、埴輪の中心的な役割を担い続けた家形埴輪。被葬者の魂が宿る場所などを表現。「埴輪 切妻造家」群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase
5世紀頃に大陸から持ち込まれた馬も、やがて埴輪のモチーフに。飾り馬具がついた馬は、統治者のステータスシンボルでもあった。「馬形埴輪」群馬県藤岡市白石字滝出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません。 画像提供:Colbase

譽田 中には色が塗られている埴輪もありますよね。

河野 全ての埴輪が彩色されていたわけではありませんが、特に東日本では比較的格の高い埴輪によく見られます。多くの埴輪が風雨にさらされ色が落ちてしまった中、「杯を捧げる女子」(下画像3番目)のように、榛名山の火山灰に埋もれていたため、色がよく残っているものも。

譽田 顔に塗られたお化粧のような縦筋や、服の文様など、かなり色鮮やか。ところで河野さんは、動物埴輪の中ではどれが好きですか?

河野 鹿の埴輪は好きですね。この鹿、よく見ると胴体に矢が刺さっているんです(下画像2番目)。獲物として狩られた鹿の表情が何とも悲しげで(笑)。

譽田 これを作った工人が、そこまでの物語を考えていたと思うと面白いです。この鹿、2本脚で表現されていますよね。しかも鹿は脚が細い動物なのに、すごく太くてたくましい。

バラエティ豊かな埴輪たち──鶏は朝に鳴くことから、光をもたらし、魔を除ける鳥と考えられていた。高い筒の上に立たせることで木の上を表現。「鶏形埴輪」栃木県真岡市 鶏塚古墳出土/古墳時代・6世紀
バラエティ豊かな埴輪たち──鶏は朝に鳴くことから、光をもたらし、魔を除ける鳥と考えられていた。高い筒の上に立たせることで木の上を表現。「鶏形埴輪」栃木県真岡市 鶏塚古墳出土/古墳時代・6世紀
前後の脚をまとめて作った2本脚の鹿。胴体には矢尻が刺さり、狩られる寸前の悲しげな表情をしている。「鹿形埴輪」茨城県つくば市下横場字塚原出土/古墳時代・6世紀
前後の脚をまとめて作った2本脚の鹿。胴体には矢尻が刺さり、狩られる寸前の悲しげな表情をしている。「鹿形埴輪」茨城県つくば市下横場字塚原出土/古墳時代・6世紀
顔に塗られた赤い筋や衣服にあしらわれた魔除けの三角の文様など、色鮮やかな表現が残る埴輪。「埴輪 杯を捧げる女子」群馬県高崎市 上芝古墳出土/古墳時代・6世紀
顔に塗られた赤い筋や衣服にあしらわれた魔除けの三角の文様など、色鮮やかな表現が残る埴輪。「埴輪 杯を捧げる女子」群馬県高崎市 上芝古墳出土/古墳時代・6世紀
バラエティ豊かな埴輪たち──鶏は朝に鳴くことから、光をもたらし、魔を除ける鳥と考えられていた。高い筒の上に立たせることで木の上を表現。「鶏形埴輪」栃木県真岡市 鶏塚古墳出土/古墳時代・6世紀
前後の脚をまとめて作った2本脚の鹿。胴体には矢尻が刺さり、狩られる寸前の悲しげな表情をしている。「鹿形埴輪」茨城県つくば市下横場字塚原出土/古墳時代・6世紀
顔に塗られた赤い筋や衣服にあしらわれた魔除けの三角の文様など、色鮮やかな表現が残る埴輪。「埴輪 杯を捧げる女子」群馬県高崎市 上芝古墳出土/古墳時代・6世紀

河野 脚をあまりに細く作ると、古墳の上などに置いた時に倒れてしまいますからね。写実的に作る部分もありつつ、一方で「2本脚でもいいや」っていうゆるい感じもあるのが好きです。譽田さんの推し埴輪はどれですか?

譽田 今日の展示の中にはないんですが、赤ちゃんをおんぶしている女性の埴輪が好きです。どうしてその姿を埴輪にしようと思ったのかが不思議で。

河野 そういう謎めいた埴輪も時々あるんですよ。たとえば飛んでいるムササビの埴輪。動物埴輪の中でも鶏は光をもたらし、邪を払う存在。水鳥は魂を運んでくれるという説があります。犬や猪はセットで狩りを表現するといわれている。でもムササビの意味はいまだわかっていないと思います。

譽田 ムササビは、私もなぜ?と思いました。

河野 そもそも埴輪はヤマト王権の中心部、つまり近畿地方から発信され、それが地方に広がっていった。ムササビは千葉県、赤ちゃんを背負っている女性は栃木県で見つかっています。中心から離れるほど中央の影響力が弱まり、各地でユニークな埴輪が作られたのかもしれません。いずれにせよ、埴輪から暮らしや習俗が垣間見えるのが面白いですよね。この時代は文字史料がほとんどないので、出土品は当時の様子を知る重要な手がかりなんです。

「このピアス、私も欲しい!」「今見てもすごくおしゃれですね」──古墳時代中期の5世紀に朝鮮半島から入ってきた金製・銀製の装飾具のほか、シルクロードを経て伝わったガラス製品も。大陸との活発な交流が窺える品々
「このピアス、私も欲しい!」「今見てもすごくおしゃれですね」──古墳時代中期の5世紀に朝鮮半島から入ってきた金製・銀製の装飾具のほか、シルクロードを経て伝わったガラス製品も。大陸との活発な交流が窺える品々

キラキラの装飾品に思わずときめいて

譽田 古墳時代の暮らしが見えるのは、埴輪からだけではないですよね。出土しているさまざまな副葬品からも当時の社会が見えてきます。

河野 古墳時代とひと口に言っても、時代により出土品の内容が変化していくのが面白いところです。3~4世紀は銅鏡が多く、被葬者である有力者は司祭者の役割を担っていたことが窺えます。つまり、祈りで社会を安定化しようとしていたんです。

譽田 ピカッと光る鏡は、古墳人にとっての憧れだったでしょうね。

河野 5世紀になると副葬品は武器が主になり、祈りよりも武力が優先されるようになっていったことがわかります。さらに6世紀ごろになると中央集権化が進み、ヤマト王権の下で作られた、装飾が施された大刀や馬具が各地の豪族に配布されていたようです。

譽田 私はキラキラ系の副葬品が好きなんです。奈良県橿原市の新沢千塚126号墳から出土した装飾品は本当にきれいですよね。こんな金細工が5世紀にあったことに驚きます。特にピアス推し。個人的にピアスは長く垂れているのが好きなんですが、古墳時代にも同じ人がいる!と思って。当時は女性だけでなく男性も装飾品を身につけていたそうですが、橿原市の古墳の被葬者は女性だといわれています。

譽田さん「古墳人たちは、エネルギッシュで好奇心旺盛だったと思います」
譽田さん「古墳人たちは、エネルギッシュで好奇心旺盛だったと思います」
河野さん「朝鮮半島からものや技術が入り、相互交流も活発でした」
河野さん「朝鮮半島からものや技術が入り、相互交流も活発でした」

河野 この古墳からは、装飾品と一緒に、いわゆるアイロンである火熨斗も出土していますね。

譽田 被葬者は朝鮮半島からの高貴な渡来人だったとも。キラキラ副葬品は、舶来品や大陸からの技術を用いて作られたものということですよね。

河野 当時、日本は朝鮮半島と密接な交流がありましたから。5世紀は朝鮮半島の動乱などを背景に、その技術が渡来人と一緒に日本列島に一気に入ってきた時代。いわば文明開花のような状況だったはずです。

譽田 日本列島からも、何度も命懸けで海を渡って大陸に行き、さまざまなものを列島に持ち込んだ。古墳時代の人たちは、好奇心があってエネルギッシュだったんだなと思います。

河野 馬も5世紀に入ってきて、それまで主に船による海上交通だったのが、内陸を通るようになりました。

譽田 群馬県も内陸ですが、古墳が多く、しかも副葬品がキラキラしている古墳が多いですよね。馬と共にやってきた渡来人たちの古墳ということ?

河野 関連していると思いますね。馬と共に、馬を育てる技術を持った渡来人がやってきたのでしょう。ちなみにその後、日本列島各地に牧場が作られ、6世紀になると朝鮮半島へ馬を輸出していたようです。最近の研究では、朝鮮半島から一方的にものや技術が入ってきたわけではなく、相互交流が活発に行われていたと考えられています。

重要文化財「垂飾付耳飾」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※考古展示室にて2027年6月20日まで展示中 画像提供:Colbase
重要文化財「垂飾付耳飾」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※考古展示室にて2027年6月20日まで展示中 画像提供:Colbase
「垂飾付耳飾」福岡県糸島市陣ノ内出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase
「垂飾付耳飾」福岡県糸島市陣ノ内出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase
重要文化財「金製螺旋状指輪」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase
重要文化財「金製螺旋状指輪」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase
重要文化財「垂飾付耳飾」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※考古展示室にて2027年6月20日まで展示中 画像提供:Colbase
「垂飾付耳飾」福岡県糸島市陣ノ内出土/古墳時代・6世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase
重要文化財「金製螺旋状指輪」奈良県橿原市 新沢千塚126号墳出土/古墳時代・5世紀 ※現在は展示されていません 画像提供:Colbase

女性がおおらかに活躍した時代だったはず

譽田 仏教の伝来により、350年ほど続いた古墳時代は終わりを告げます。縄文時代は比較的平等で平穏な社会、弥生時代は土地争いが始まった社会といわれますよね。その後の古墳時代とは、どんな時代だったんでしょう?

河野 研究者によって説がかなり分かれるのですが、私はかなり不安定な時代だったのではと考えています。

譽田 それは意外! 巨大な古墳が作られたのは、社会が安定していたからだと思っていました。

河野 外から攻められることがなかったのは事実です。だから大規模な土木工事も行うことができたのでしょう。一方、この時代は身分秩序がはっきりしていなかった。だからこそ、古墳を作ることで身分秩序を可視化する必要があったのではないかと思うんです。

譽田 なるほど。ただ、あちこちで戦があった弥生時代に比べると、古墳時代はもう少しおおらかになった部分があったのではないでしょうか。

河野 確かに、この時代は戦乱の結果、勝者が国を治めたのではなく、各地の豪族たちの合議制だったといわれています。大王(今の天皇に当たる地位)も合議制で決めていた。

譽田 お互いの領域を侵略せず、それぞれが頑張って社会を豊かにしていこうとする連合体だったんですね。

河野 一方、強権的な人物が存在しなかったゆえに、社会が安定していなかったともいえるでしょうね。

譽田 女性が葬られている古墳も多いので、女性の首長も多かったはず。男女関係なく、女性もおおらかに活躍した時代でもあったのかなと思います。

河野 古墳時代は、日本社会が形成されていった重要な時期。ぜひ多くの人に博物館に来てもらって、埴輪や副葬品から当時を想像してみてほしいです。

古墳の時代(2)──東京国立博物館主任研究員・河野正訓さん×文筆家・譽田亜紀子さん

東京国立博物館

1872年に開館した、日本で最も長い歴史を持つ博物館。日本を中心とする東洋の美術作品と考古遺物を約12万件収蔵。2026年9月29日~12月20日、『渡来人が見た長野―馬と歩んだ古墳時代―』を平成館企画展示室にて開催予定。

東京都台東区上野公園13-9  TEL:050-5541-8600 (開)開9時30分~17時(毎週金・土曜、翌月曜が祝・休日の場合の日曜は~20時) 入館は閉館の30分前まで。東博コレクション展観覧料 大人1,000円

『クロワッサン』1172号より

広告

  1. HOME
  2. くらし
  3. 古墳の時代(2)──東京国立博物館主任研究員・河野正訓さん×文筆家・譽田亜紀子さん

人気ランキング

  • 最 新
  • 週 間
  • 月 間

注目の記事

編集部のイチオシ!

オススメの連載