『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』著者、村瀬秀信さんインタビュー。「ノンフィクションとしては無作法です」
撮影・中島慶子
「ノンフィクションとしては無作法です」
プロ野球の監督ほど過酷な仕事もない。現役時代はスーパースターでも、チームが不調だとファンに生卵を投げつけられるし、厳しい指導も真意が伝わらないと選手から総スカンをくらってしまう。称賛されるとすれば唯一、優勝した時ぐらいでは。そう、去年の阪神タイガース・岡田彰布監督のように。
そのタイガースに、プロ野球経験のない老人監督がかつていたことは、ほぼ知られていないだろう。
「この本はまず岸一郎ありきなんですよ。僕が彼を初めて知った時の情報は、1955年に60歳で監督に就任、その経過も独自のチーム改革論をしたためた手紙を球団オーナーに送った、だけでした」
ノンフィクション作家である村瀬秀信さんは、人気球団の監督を務めたほどの人物がそれしかデータがないことに引っかかり、自らのペンで補うことにした。
それまで福井県の敦賀で畑仕事をやっていた老人が、曲者選手だらけのチームを束ねて優勝……させればハーメルンの笛吹き男だったのだが、現実はその選手たちからの猛反発に遭い、ベンチで孤立し、球団を混乱に陥れ、たった2カ月で病気を理由に退いてしまう。その後の消息は不明。この奇妙な史実を、「最初はネタとして調べ始めたんですよ、面白い人がいるなって」と村瀬さん。それが、ハマッた。
「2013年から10年かかりましたが、最初の5年は資料探しでした。その資料も、ほとんど出てこない」
幾度となく敦賀に足を運び、岸の長女や親類にも会い、本家の墓も訪ねた。5章で見えてくる彼の経歴や出自は、さながら朝ドラだ。
「突如現れた謎の老人、野球素人という話だったのに、実は大学野球や旧満洲ではとんでもないスター選手だった。風貌も俳優のように整った顔に日本人離れした長い手足、頭も冴えていた。それらにも何かしらの理由がありそうで」
戦前の旧家ゆえ複雑な事情を蔵することもある。さらには幕末の尊王攘夷過激派・天狗党が敦賀で大量処刑された因縁まで絡めてくるから凄まじい。この章のおかげで、単なる野球本ではなくなった。
「人間ドラマですね。でも難しいです。よその家にどこまで踏み込むかっていうのは。比喩ですが墓暴きのようなこともしちゃったし、センシティブな話もあるので。今も自分では答えが出てないです」
調べて書いたことだが、それは推定の真実ではないだろうかとも煩悶する村瀬さん。本書が出てから、ウィキペディアの岸一郎のページは、それまで甲子園記念館にも記述がなかった彼の没年が掲載され、大幅に改訂もされた。
「僕の書いたことが、真実になってしまう恐ろしさと、歴史になってしまうプレッシャーはあります」
当時を知る球界のレジェンドたちにも直撃した。なかでも卒寿を超えた最長老、広岡達朗との会話は、笑わせにきてる類の面白さだ。
「ノンフィクションとしては無作法です。でも昔の資料をそのとおり書いても飽きちゃうから、野球を知らない人にもいかに楽しく読んでもらえるかを主眼にしました」
『クロワッサン』1117号より
広告