有元さんは仕事のすきま時間が少しでもあれば信州・野尻湖にある山の家に車を走らせる。
「東京から車で3時間ぐらいなのでよく向かいます。ピアノを弾きたいだけ弾きたくて行くんですね。熊が出るような所なので、ほとんど家の中にいて、誰にも気兼ねなく弾いています。ここは山の崖地にあって一面がガラス窓なので、雄大な景色が眼前に迫ります。私たちは自然の一部なんだと実感せずにはいられません。ひとりの時間を味わうにはとっておきの場所なんです」
東京の自宅と、この信州の山の家、さらに有元さんは、イタリアにも小さな家を持っている。
「コロナ禍で行けなくなっていますが、イタリア中部にある家は25年前に買ったんです。当時の東京の家はまだ賃貸だったのに(笑)。たまたま車でドライブして、城壁に囲まれた町に降りたとたん、『ここに住みたい!』って強烈に思ったんですよね。それで居を構えた家が、14世紀の修道院の一部だと分かって、原形を残しながら改修しました。長い歴史の中で見れば、私はほんの一時期の住人にすぎないんです」
この地方では家の台所にある暖炉の火を使って料理をするが、その薪火料理のあまりのおいしさに驚嘆した。
「薪が燃えている上で煮炊きするのではなく、熾火で料理をするんです。豆を煮ようと思ったら、鍋を熾火に朝置いておくだけで夕方には素晴らしくおいしい煮物ができています。ただ2時間ぐらい薪の火を焚かないと、いい熾火にはなりません。やはり時間をかけるとおいしいものができるんですよね。ここでは温かなご近所づきあいと伝統的な暮らしを味わっています」
有元さんにとってイタリアや信州と居場所を変えることは、東京の忙しい時間から逃れるためではなく、自分の頭を切り替えるための、まさに時間術。でもこうしたことはあくまでも自然の流れだったという。
「私はもともと編集者でしたが、その後20年間は3人の娘を育てて専業主婦をしていました。たまたま取材を受けたことが発端で料理を作ってくださいというオファーを受けるようになって、いまにつながっているんです。まさか料理の道に進むとは思ってもみませんでした。人生ってなりゆきだし、その流れに身をまかせてきたんですよね」