「自分の選択した道が損な役回りばかりだったと思えてなりません」と落ち込んでいる、“それでもがんばる”さん。
ここで、「いや、いつか全てが報われる日が!」、「しっかり貴方の身になっていますよ!」などと並べ立ててみたところで、相談者は納得されないでしょう。
皮肉なことですが、それは、その名の通り貴方が“頑張ってきた”からに他なりません。
“売れっ子”期間が「時短勤務」だった一発屋の筆者にも、「何で自分ばかりが……」、「割に合わんなー」という思いをした経験はそれなりにあります。
世の中、特に芸能界には、何事も上手く立ち回ったり、不思議と運が良い人が数多く存在し、そういう人達を見るにつけ、
「くそっ……それに比べて俺は……」
と惨めな気分になることも少なくありませんでした。
ただこの“人と比べる”というのは厄介で、人生のコストパフォーマンスを非常に悪くします。
他人と比較して、
「くそっ、俺だって!」
と奮起するのは、若者の特権。
中年世代のモチベーション、残りの人生を走破するためのガソリンとしては、燃費が宜しいとは言えない。
若い頃と比べ残り時間に余裕がないため、そこに割く時間や気力の“勿体なさ”が相対的に増すからです。
40代の我々には、もはや贅沢なのだと悟りましょう。
当面、ご自分に関係のないことは、徹底的にミュート(消音)するのがお勧めです。
肝心なのは己、自分に集中することなのだと繰り返し心の中で唱えましょう。
誰それと比べて失敗したということは、他の誰かに比べれば成功しているのかもしれない。
失敗と成功は裏表……“クラインの壺”のようなものです。
要は見方によって変わる、その程度のこと。
大体、キリがない。
かつての牛丼価格競争と同じく、
「他社より安く!もっと安く!」
と気張ったところで、結局最後はジリ貧。
人生にとって意味のあるデータは、つまるところ、“当社比”しかありません。
それでも、相談者がご自身の半生を“失敗”、“選択ミス”と断じるなら、きっとそうなのでしょう。
かくいう筆者とて、自分の選んだ道が正しかったか、成功だったかとあらためて向き合えば、失敗だったと後悔していることのほうが圧倒的に多い。
手前味噌で申し訳ないですが、拙著『一発屋芸人の不本意な日常』の帯には、
「全ては“なりたい自分”になれず、“自分らしく”生きることが出来なかった、『終わった人間』の世迷言」
と書きました。
本心です。
裏を返せば、「なれた自分でやっていく」ということ。
失敗した、要領が悪かった、それで良いのではないでしょうか。
ただ、1つ。
旦那さんには、文句を言っても良いでしょう。
「10数年に及ぶワンオペ」、これは洒落になりません。
どのような事情があるにせよ、彼がもっと育児・家事を分担してくれていれば……これは言ってみれば、旦那さんに対する“貸し”。
今後、じっくり取り立ててみるのも良いでしょう。