くらし

越境者、左幸子の心の揺らぎ…。団地映画アート部門代表! 『彼女と彼』│ 山内マリコ「銀幕女優レトロスペクティブ」

『彼女と彼』1963年公開。岩波映画作品。DVDあり(販売元・ローランズ・フィルム)

アート映画の匂いを強烈に放つ、1963年(昭和38年)に公開された『彼女と彼』。ドキュメンタリー出身の羽仁進監督が当時の妻、左幸子を主演女優に迎えて撮ったおそらく唯一の作品にして、ベルリン国際映画祭で特別賞と主演女優賞に輝いた異色作です。

造成されて間もない百合ヶ丘団地で暮らす直子(左幸子)はある晩、隣接する建物が火事で燃えているのに心を奪われる。その一帯はこれまで気にも留めなかったスラムだが、直子はなにかに導かれるように燃え跡を歩き、そこで盲目の少女と出会う。さらに少女の親がわりに同居している伊古奈(前衛画家の山下菊二)は、直子の夫(岡田英次)の大学時代の友人だった……。

この時代の団地といえば、庶民の憧れの象徴。高い倍率を勝ち抜いた選ばれし中産階級の人々が暮らす団地は、さまざまな映画に描かれてきました。コンクリートの箱に押し込められたサラリーマンの夫と専業主婦をどう切り取るか、作り手の作家性が如実に表れるのが団地映画の魅力ですが、本作は生々しいドキュメンタリータッチとモノクロ映像、そして武満徹の不穏な音楽も相まって、ぐっと文明批判寄りに仕上がっています。

近代的な団地と、最下層の人々が肩を寄せ合うスラム。本来なら交わらない2つの世界がここでは隣り合い、直子はそこを軽々と行き来します。中国大陸から引き揚げてきた過去のせいか、それともまだ子供がないからか。画一的ゆえに排他的でもある主婦たちの輪から、微妙に外れたところにいる直子は、まさに越境者。身なりからして階層の異なる伊古奈を「どこかで会った気がするのよ」と気にして、自ら近づいて行きます。

左幸子の、プリミティブな生命力がみなぎった、どこか稚気を残した風貌が役柄に完璧にマッチ。冒頭の、火によってなにかに目覚めたような表情から、もうこっちの世界には戻ってこられないかもしれないと思わせるラストシーンまで、目が離せない名演です!

山内マリコ(やまうち・まりこ)●作家。2月下旬に新刊エッセイ『山内マリコの美術館は一人で行く派展』が発売予定。

『クロワッサン』1015号より

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