くらし

『ファースト クラッシュ』著者、山田詠美さんインタビュー。「純愛がいちばんよこしまで、いやらしい」

  • 撮影・黒川ひろみ(本) 山本ヤスノリ(著者)
髙見澤家の三姉妹の前に現れたリキ。麗子、咲也、薫子、姉妹の母との密やかな関係も加わって、物語は始まる。文藝春秋 1,500円
山田詠美(やまだ・えいみ)さん●1959年、東京生まれ。’87年、『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞受賞。2001年、『A2Z』で読売文学賞、’12年、『ジェントルマン』で野間文芸賞受賞。前作の『つみびと』は2019年の話題となった。

これは、他人の話ではない。作品ごとにそう思わせてくれる稀有な女流作家。山田詠美さんはクールな角度で人に寄り添い、心のディテールを言葉にし続ける。彼女が描く絶対的なフィクションから、読者は勝手にリアルを学んできた。

今年の話題作となった『つみびと』。幼児置き去り事件をモチーフとした恐ろしい話だと遠くから見つめたはずが、自分こそ事件の主人公になり得たかもと心がザワついた。そして新作『ファースト クラッシュ』では、神と自分のみぞ知るはずの、ほろ苦く拙い初恋の記憶がたぶん誰の胸にも蘇る。
「前作が悲惨な話だったぶんきれいな背景で、生意気な女の子たちといたいけな少年の話を描きたいと思ったんです。神戸の街が好きだから、そこで育った男の子がリキ」

時が止まったような旧家、髙見澤家の三姉妹の前に神戸から連れてこられた中学生のリキが現れる。「父親の愛人だった女」の息子の「可哀想な」「みなし子」の不憫さは際立ち、貴重な魅力に変わり、屋敷内の女たちの心はかき乱される。

恋をすると、人は図らずも陳腐なことを平気でやったりする。

「いちばんよこしまでいやらしいなと思うものって、純愛と呼ばれるもの。中でも初恋って、淡くロマンティックに描かれようとすることが多いんですが、最初にくる発情期の経験だと思うんです。描きたかったのは、三姉妹がその初恋をどういうふうに受け止めたか」

物語は、今や50代になった次女・咲也がリキとの初恋を回想する場面から始まる。洒脱な父親と浮世離れした母親。当時の屋敷の華やかな設え。温室、お茶会、覗き見、ホース、唇、上履き、林檎……。乙女の記号、初恋の合言葉が溢れるリキとの濃密な交流が、読書好きで頭でっかちな少女だった咲也を今も、髙見澤咲也たらしめる。

「恋をすると、人って図らずも陳腐なことを平気でやったりする。誰もが詩人になったり印象派になったりするんですよ。側から見てみっともないくらい(笑)。そこで虎の威を借る狐じゃないですが、3篇の詩を拝借させてもらって小説に埋め込んでみたんです」

咲也の初恋の小道具となるのは島崎藤村の『初恋』。文学概論の授業中、教科書にあったそれに思いがけず咲也はハラハラと涙を流す。リアルな初恋とは「ファースト ラブ」ではなく「ファースト クラッシュ」。ぺしゃんこなのだ。
「可哀想な」「みなし子」のリキの目の前で、咲也は初潮を迎える。

「人間関係って、Sの要素とMの要素があると思っていて。その時の関係性によって反転していくのが醍醐味かなと。それが顕著なのが恋愛だと思うんです。うちの夫を見ていると、なんだか虐めたくなって意地悪するんですけど。

“あなたは虐めれば虐めるほど、可愛さが増す子なんだよね〜”とか言って。そうすると? “やめてくれー”と言って笑ってますね」

曖昧だけど大事な気持ちを鮮烈な言葉で描き続ける作家への信頼を、私たちは言語化できないままだ。

『クロワッサン』1010号より

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