犯罪者の男女比でいうと、圧倒的に男が多いのが世の常。なのに女が犯罪を犯すとマスコミは、やれ悪女だ毒婦だとヒステリックに騒ぎ立てます。それは「女にはこうあってほしい」という願望の裏返しにほかならず……。1982年(昭和57年)に公開された『疑惑』は、松本清張の原作を野村芳太郎が映画化した、“悪女”についての異色作です。
悪女の定義が「男をもてあそぶ悪い女」とするなら、球磨子はまさにこのタイプ。「あたしは男をたらして生きていくわよ」と言ってはばからず、言動は野生の虎のように獰猛で、倫理観とも罪悪感とも無縁。この強烈な役を、桃井かおりは徹底的に憎々しく演じ、それによって真犯人がまったく読めないスリリングな法廷劇が展開します。一方の律子は弁護士という立派な職業を持つ女性。しかし家庭より仕事を選んだ律子の生き方は、男が女に「こうあってほしい」と望む理想像の真逆をいっています。つまり彼女もまた男社会の異端であり、立派な悪女なのです。
おもしろいのが、タイプの違うこの2人が、全然仲良くならないところ! 身の上話をして苦労を分かち合い、同情して助け合うなんて生ぬるい友情のあたため方はせず、とことんドライ。だからこそ、自分の生き方を貫いている女として、お互いをうっすら認め合うラストの名シーンにはしびれます。
この男性優位社会で自分らしく生きる女はみな悪女。悪女讃歌ともいえる会心作です。