【山田康弘さん×望月昭秀さん 対談】縄文という時代【1】
撮影・青木和義 文・一澤ひらり
定住生活を始めたことが、現代に通じる社会的問題の出発点。
山田 定住すると、移動以外の方法で社会的問題を解決しなくてはならなくなります。たとえば食べ物。周辺の資源をどのように効率的に使えるのか考えなくてはいけないし、食べ物の分配をめぐっても集団の中でさまざまな社会的なルールが作られてきますよね。それが村と村の地域的なルールにもなってくる。現代社会におけるさまざまな問題の出発点は、縄文時代早期からの定住生活にあるというのが、僕の歴史の捉え方です。
望月 それはよくわかります。
山田 で、定住生活の問題の解決方法のひとつが“逃げる”。言葉を変えれば避けたり、積極的に回避する。
望月 現代社会だとネガティブに捉えられがちですけれど、とても重要な視点だと思います。積極的回避ってなんかいいですよね。逃げるが勝ちっていうこともあるし(笑)。
山田 縄文は今よりも社会をゆるやかに機能させることができた時代で、逃げることが決して悪いことではなかった。そうした考え方は、閉塞感、息苦しさを感じる今の社会にこそ、必要なのかもしれませんね。
望月 縄文時代の面白いところは地域性だと思っています。地域ごとに土器形式があったり、文化の違いがあったり。普通に地方を観光するよりも、「ご当地」を感じやすかったりしますね。
山田 そういう地域性が出てくる根源は定住なんですよね。定住することで移動距離が少なくなって、その場所からネットワークを延ばしていって、物物交換があり、場合によっては遠隔地と遠隔地の間で婚姻関係が結ばれて、本来なら得られないものを入手できたり。そういうことがたくさんあったはずではないかと考えています。
望月 地域によって全く違ってくるのが面白いですよね。そういう社会の複雑さみたいなのが縄文の魅力のひとつなのかな、と。
山田 そうですね。今日訪れた千葉市の加曽利(かそり)貝塚は縄文時代中期を代表する遺跡で、ここから出土した「加曽利E式土器」は関東全域に及ぶ広い地域で作られています。その独自性によって「加曽利E式文化」とか「加曽利文化圏」と言われているけれど、ほかのところも地域性に即した独自の文化があるという視点で、「何々文化」というくくりで見ていくこともできます。
望月 『縄文ZINE』の第6号で、カップ焼きそばの文化圏と縄文土器文化圏が相似形を描いているのでは?という企画をやっていて。商品名で例えると、北海道は「やきそば弁当」文化圏、北東北が「バゴーン」文化圏で、それ以外の東北から関東あたりまでが「ペヤング」文化圏。西日本は「UFO」文化圏ということで、わかる人にはわかるのですが、意外なほど縄文土器文化圏の分布と重なり合うんです。縄文から続く文化圏の区切りみたいな地域性が、現代まで連綿と残っていても不思議ではない、そう思ったら縄文が身近に感じるのではないでしょうか。
山田 地域の境目は、山や川などの地形によっていたりするので、それが残っていてもおかしくないと思います
加曽利貝塚は2つの貝塚が連結した日本最大級の貝塚。
わからないものがポロッと出る。縄文社会の弾力性を感じますね。
望月 『縄文ZINE』の最新号の特集は「わけのわからないものばかりの縄文時代で、とびきりわけのわからないもの。」(笑)です。ある意味それは縄文社会の弾力を指し示すのではないでしょうか。
山田 確かに、一見不思議に思えることは縄文世界にもたくさんあったでしょう。北海道の入江貝塚では、幼児期に重篤な病気にかかった可能性が高い女性が成人まで生きていたことがわかっていますが、縄文はそういう「稀人(まれびと)」をケアする社会でもあったようです。
望月 「稀人」は信仰の対象となっていたのかもしれませんよね。
山田 だからこそ20歳まで生き永らえた可能性がある。そういうことも加味して考えていかないと、縄文社会の多面性はなかなか捉えきれないところがある。岩手県の宮野貝塚で見つかった40歳ぐらいの女性の人骨は、猪の牙が10個連なった首飾りをしていました。でも縄文の人骨着装例を見ていくと、鮫の歯や鷹の爪、熊、猪の牙などは通常は大体男性の装身具です。
望月 獣の力を得たいとか、そういう装身具のはずですよね
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