大学を卒業し2年間働いた後、一念発起して北京へ留学。思えば、天職ともいえるエッセイストという仕事との出合いも、とても自然な流れで訪れた。
「一生自分の生活圏以外を知らずに過ごすのはもったいない、若いうちにしかできないことをしてみようと行動に移したんです。でも、それほど冒険心がないので、日本に近い国だし、漢字だったら少しはわかるからと中国に。その留学中、各国の学生事情を記事にする雑誌の企画があり、たまたま声をかけてもらって書いたんです。帰国後も小さな記事書きをいくつかいただいているうちに、だんだん仕事が広がって……という感じでしょうか。エッセイストなんて仕事があることも知らなかったし、フリーランスは想像もしていませんでしたが、書くことは好きなので、続けてきた結果、今がある気がします。とはいえ、来年の約束なんてない不安定な仕事ですが、今年大丈夫だったからもう少しいけるか、と続けているんです。実は割と大雑把なところもあって、悪い面ばかり見ないで、なんとかなるかと思えるタイプ。これまで、いろいろな人とのご縁にも恵まれたおかげだとも思っています」
さらに、40代で経験した大病は、人生に対する鷹揚な捉え方、周囲の人の多様性を気づくきっかけになった。
「それまでは自分の理想のスピード、やり方で働くことに喜びを感じていましたが、病気だとそうはいきません。ままならない自分を受け入れざるを得ない状況で、その人なりのペースややり方があるんだ、ということに気づけました。私が知らなかっただけで、仕事をしてきた人の中には、病気、家庭の出来事などそれぞれ事情があって、思う存分働けない人だってたくさんいたはず。なのに私は狭い視野で世界を見て、人を判断してしまい、なんて浅はかだったんだろうと感じたんです。以来ペースややり方は違っても、目標が同じならいいじゃないかと思えるようになり、多様性にも気づけました」