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『静かな雨』宮下奈都さん|本を読んで、会いたくなって。

人生の可能性について、書きたかった。

みやした・なつ●1967年、福井県生まれ。2004年、『静かな雨』が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。2015年に刊行された『羊と鋼の森』が本屋大賞を受賞。その他の著書に、『スコーレNo.4』『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』など。

撮影・森山祐子

ピアノの調律に魅せられた青年の成長の物語、『羊と鋼の森』が2016年の本屋大賞に選ばれ、一躍注目を浴びた作家の宮下奈都さん。子育て中の主婦だった13年前、初めて書いた小説『静かな雨』が、昨年、書籍化された。

「3人目の赤ちゃんがお腹にいる時に、急に書きたくなって、小説家になろうとか先のことは考えず、とにかく書き始めたんです。当時36歳。この子が生まれたらもっと忙しくなって、私はますますお母さんとして生きることになる。それはもちろん幸せなことだけれど、これからの私の可能性ってなんだろう?どう生きていったらいいんだろう?っていつも考えていて。それで “可能性” についてのお話を書きたいと思ったんです」

足が不自由な主人公の行助は、小さなたいやき屋で働くこよみさんに出会い、恋をする。しかし、ある日彼女は交通事故で脳に障害を負い、短期間しか新しい記憶を留めておけなくなってしまう。

「100パーセント可能性が開けているわけではない人たちがどうやって生きていくのか。不遜かもしれませんが、試すような、託すような気持ちでした」

同じ記憶を重ねていけないもどかしさを抱えながらも、2人は寄り添う。一緒に食べる夕飯、子どもの頃の思い出話、好きな本や音楽……。綴られるのは激しい恋模様ではなく、ささやかな日常だ。

「恋愛よりももっと奥のほうで繋がって、共に生きていく2人の話にしたかった。作中の行助の言葉にもあるんですが、特別な日の特別な出来事よりも、日々の暮らしの積み重ねで人間はできていると思うんです。そういう日常の喜びみたいなものを描きました」

本作を十数年経って読み返した時、気づいたことがあるという。

「後に書くことになる作品の種があちこちにちりばめられているなって。たとえば、行助がある大事な決断をする前、空き地で揺れる草を見てオーケストラを思い浮かべ、風がやんだ瞬間に指揮棒が振られる、というシーン。そういう想像は『羊と鋼の森』の執筆中にも何度もしたんです。好きなもの、書きたいものはあまり変わってないのかもしれません。ほかにも、今だったらこうは書かないなとか、逆に今でも同じ台詞にするなとか、様々な思いが生まれました」

まさに、宮下さんの小説の原点とも言える作品。一つの選択肢を失っても、共に生きてくれる誰かがいれば人は新しい可能性を見つけられる。自身の生き方を探っていた当時の宮下さんの、真っ直ぐな思いに心が揺さぶられる。

文藝春秋 1,200円

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