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『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』井上ユリさん|本を読んで、会いたくなって。

もっと万里の小説が読みたかったですね。

いのうえ・ゆり●1953年、東京生まれ。共産党幹部だった父の仕事で小学校時代をプラハで過ごす。北海道大学を卒業後、教師になるも「向いてない」と調理師学校へ。その後イタリアへ飛び、帰国後はイタリア料理教室を開く。

撮影・岩本慶三

 没後10年を経てアンソロジーが編まれたり、書店での回顧展がかつてないほどの来場者数を記録したりと再び注目を集める米原万里さん。ロシア語会議通訳であり、溢れる知見と毒舌で名を馳せたエッセイスト、作家だった姉の横顔を、妹の井上ユリさんが食べ物の思い出と共に綴ったのが本書だ。

「自分でもどこかで万里のこと、ちゃんと書かなきゃいけないと思ってたんですけど、なかなかストレートにはね。でも、担当編集の方に『食べ物で』と言われてそれならなんとかなるかな、と(笑)」

 幼い頃、家族で過ごしたプラハで食べていた酸味の強い黒パン。ソースのたっぷりかかった肉料理に添えられた蒸しパン、クネードリキ。映画に感化されて姉妹でせっせと作ったペリメニ(シベリア風水餃子)。ふたりの間にはいつもおいしそうな食べ物と父母の豊かな愛情があった。

 万里さんのエッセイで、とんでもなく食いしん坊で行動力のある妹として度々登場するユリさん。当事者だからこそ知る舞台裏が明かされているのも本書の魅力だ。

「ユリさん、あの話本当?なんて聞かれてもずっと黙ってたんですよ。万里が苦労して書いたエッセイですし。ひさしさん(夫の故・井上ひさしさん)がよく言ってたんだけど、事実と真実は違うと。事実を何倍も際だたせることで真実がちゃんと伝わることがある。だから書く時の誇張は真実をはっきりさせるための手段だからいいんだよ、って。でもね、もうそろそろいいかと思って」

 そうして明かされる事実もまた愉快(詳しくは本書にてお確かめください)。ただ、やはり一番意外だったのは、進路についてぐじぐじ悩んだり、謎のお化けに怯えたりといった若かりし頃の万里さんの素顔だ。その姿は我々の知る米原万里像からは少し遠い。

「万里は想像力が豊かだったから。いろいろ想像しすぎて足がすくんだんでしょうね。でもだからこそ、意を決した時には強かった。言いたい放題、毒舌って言われてたけど、すごく覚悟をもって退路を断って物を書いていたということが伝わるといいかなと思います」

 万里にはもっと小説を書いてもらいたかったと、ユリさんは言う。

「ソビエト学校の男の子たちや、祖父と父のことを書きたがってた。そして自分のなかにある題材を書いた後、私はその次がほんとうに万里が面白いものを書いただろうと思う。新しくてヘンな万里の小説、もっと読みたかったですね」

文藝春秋 1,500円
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