猫とたくさんの出会いがある町、山口恵以子さんが歩く、谷中。
撮影・黒川ひろみ イラストレーション・黒木雅巳 文・黒澤 彩
谷根千(やねせん)と呼ばれる東京の谷中・根津・千駄木は、寺町の風情とどこか懐かしい生活の営みを感じさせる、言わずと知れた人気のエリア。そして猫の町としても有名だ。
雨模様の天気が続いた9月、山口恵以子さんと散策するのに先立ってスタッフが下見に赴いたところ、あろうことか1匹も猫を見つけられなかった日も。猫は雨が降っていると外に出てこないとは聞くけれど、出会うには案外、猫運がいるのかもしれない。
そういうわけで何度かの雨天延期を経ての撮影当日。秋晴れの日差しに明るいミントカラーの着物姿が映える山口さんと、谷中の名所「夕やけだんだん」から歩き始めた。
「この辺りに来るのって、初めてなんです。猫に会えるのがとても楽しみ。あら、さっそくそこにいますね」
と、日陰で寝ているトラネコに歩み寄る。この子は地域猫なのだと近くの商店の奥さんが教えてくれた。もともとは飼われていたが、同居の猫と反りが合わずにこうして外にいるようになって、ご飯を食べる時だけ元の家に戻るらしい。自由だなぁ。
「猫は自由でちょっとわがまま。自分で居心地のいい場所を見つけるのが誰よりも得意なんですよ。今日は暑いからこうして日陰にいるのね」
ここから人力車で谷中を案内してもらいつつ、猫のいそうな路地を巡ることに。
人力車の『音羽屋』では、看板猫のミーちゃんと一緒に車に乗ることができる(要予約)。一緒に、と聞いてもその実態が想像できないのだが、ミーちゃんはすごかった。山口さんが猫好きだとわかるのだろう。挨拶がわりに指を甘噛みしたら、膝の上ですっかりリラックス。決して短くはない散策のあいだ、じーっとしていて、ほかの猫とすれ違っても少しも動じない。山口さんも感心しきり。
「わぁ、なんでこんなにいい子にしてられるの? 猫なのに‼」
飼っていた先代の猫たちはミーちゃんと同じ茶トラの兄弟だったと話す山口さん。現在は、3匹の猫と暮らしている。白猫のボニーくん、黒猫のエラさん、そして3年前に保護されてやってきた末っ子がタマちゃん。が、3匹の関係は一筋縄ではいかないようだ。
「ボニーは人好きでお客さんにも愛想がいいタイプ。自分の美しさを意識しているのか、よく階段の上でポーズを決めています。小林旭さんが波止場でやっていたような、あのポーズね。ボニーとエラはそれほど仲良くはないけれど、一緒にいても大丈夫そう。でも、タマはだめ。あの子は家庭内暴力猫だから(笑)、2匹と顔を合わせないように別の部屋にしています」
猫同士が争っても、人間の言うことを聞いてくれなくても、それも彼らの個性。予想外のことが起こる猫たちとの暮らしは楽しい。
「毎日『きくち体操』を続けているし、お酒を飲みすぎないようにするのだって、ぜんぶ猫たちのため。責任をもって最後まで飼うのは最低限の役目だから、私も元気でいなくちゃ」
膝上のミーちゃんを、終始扇子でパタパタあおいであげる姿からも、山口さんの猫思いの気持ちが伝わってくる。
人力車は商店街を外れて静かな住宅地へ。「猫たちがよくいる場所を巡ってみましょう」と案内してくれた音羽屋の近藤さんは、谷中の路地という路地を知り尽くしていて、猫の居場所にもすごく詳しい。
「たしか、この通り沿いのアパートに」「たぶん、この駐車場に」と、行く先々でかなりの高確率で遭遇することができた。
谷中霊園にも猫多しとの情報を得て、広い敷地の中をうろうろ。ここにいる猫たちは静かな環境が好きなのだろう。近づくと一目散に走り去ってしまう子も。猫って素早い。
「猫がこんなに思い切り走り回れる場所が都会にもあったとは。彼らにとっては安全で広々した遊び場みたいなものなのかしら?」
霊園で会った猫たちも地域猫なのだろうか。音羽屋の近藤さんの話では、谷中では猫の世話をする人が多く、飼い主のいない猫にもできるだけ去勢手術を受けさせ、みんなで見守っているのだという。
夕やけだんだんにいた地域猫もメグちゃんという名前で呼び親しまれていて、音羽屋に遊びに来たこともあるそう。ミーちゃんと顔見知りなのだった。ここでは、猫と人はつかず離れずの心地よい距離感で生きている、同じ町の住民だ。
「地域猫もあまり人を怖がらないのは、町の人たちがいつも気にかけて、温かく見守っているからでしょう。谷中の猫たちは幸せですね」