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50歳から、まだまだ行ける!新しいステップを踏み出した坂田阿希子さん。

もう50代?と嘆くなかれ。まだ道は半ばです。50代でなお活発に、新しい道を選択する人はたくさんいます。恐れず、邁進あるのみ!

撮影・青木和義、清水朝子、大嶋千尋 文・新田草子

[坂田阿希子さんの転機]教室のアトリエ探しから一転、自身のお店を開くことに。

坂田阿希子(さかた・あきこ)さん●料理家。1968年生まれ。料理教室「studio SPOON」主宰。フレンチから和食、エスニックまで、幅広いジャンルでおいしいものを追求する。近著は『トマト・ブック』(東京書籍)。
坂田阿希子(さかた・あきこ)さん●料理家。1968年生まれ。料理教室「studio SPOON」主宰。フレンチから和食、エスニックまで、幅広いジャンルでおいしいものを追求する。近著は『トマト・ブック』(東京書籍)。

「50代なら、何かあっても挽回できる。やるなら今しかない、と思いました。」

独自の視点でおいしさを追求したレシピと、親しみやすい人柄で多くのファンを持つ、料理家の坂田阿希子さん。自宅で料理教室を開くかたわら雑誌やテレビで活躍し、一年に数冊のレシピ本を上梓……と大忙しだが、この夏、大きな決断をした。なんと、レストランをオープンするべく準備中という。

「自分でも、まったく予想していなかった展開なんです」

と、坂田さん。新たな一歩を踏み出そうと決めたわけを、語ってもらった。

歳。この頃から洋食が大好き。父と姉と一緒に。
歳。この頃から洋食が大好き。父と姉と一緒に。
菓子店で修業していた26歳頃。親子3人で旅行に。
菓子店で修業していた26歳頃。親子3人で旅行に。
歳。この頃から洋食が大好き。父と姉と一緒に。
菓子店で修業していた26歳頃。親子3人で旅行に。

アトリエ探しに苦戦していたとき、とある店舗物件が舞い込んできた。

実は坂田さんはもともと、飲食店での経験が長い。20代前半に勤めていた出版社を辞めて料理の道に飛び込んだときに、「現場で技術を習得したい」と、パティスリー2軒とフレンチレストラン1軒に、合わせて約9年勤めた。

「相応のものを提供し続けなければならない厳しさがある一方で、そこでしか得られないライブな楽しさがある。お店は特別なものという思いが、そのときから常に自分の根底にありました」

やがて30代初めに料理家として独立。数年後に仕事が軌道に乗ると、そこからは雑誌や書籍の撮影、料理教室、と、ひたすら走り続ける日々だった。そうして、40代半ばになったとき、

「今の生活は楽しいけれど、いつまで続けられるかわからない。そろそろ自分のペースでできる基盤を作りたい、と思って。私にとって大事な場である料理教室の開催回数を、大幅に増やすことにしたんです。自宅だと手狭なのでアトリエも探し始めたんですが」

その物件探しが難航。いっこうに決まらず4年が過ぎた今年の半ば、たまたま知人から、代官山のとある店舗物件が空いたと知らされる。

「素敵な場所で、通常は市場に出ない物件。『持ち主がきちんとしたお店を開ける人を探していて、その気があれば紹介するよ』と言われたけれど、そのときはまさか、と思っただけでした」

でも、と坂田さん。「ひとりになって考えたときに、そこでやりたいことが鮮明に浮かんできた。自分がその店で働く姿が、無理なく想像できたんです」

ジャンルは絶対に洋食。あえて品数を少なくして、手間を省かずに自分が譲れないと思う味を再現してーーアトリエという構想とは違ったけれど、

「お店も拠点に変わりはないし、何よりこんな機会は一生に一度。万が一失敗しても50代ならまだ何とかなる。今しかない、やってみよう、と」

翌日、知人を通じて契約を申し込む。話はすぐにまとまった。

レストラン『ル ブトン』にて。「このカウンターが理想。居心地がとてもいいんです」。杉山シェフにはたくさんのアドバイスをもらった。
レストラン『ル ブトン』にて。「このカウンターが理想。居心地がとてもいいんです」。杉山シェフにはたくさんのアドバイスをもらった。
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