手術の末、左半身に麻痺は残ったが命に別条はなく、間もなく集中治療室を出て大部屋へ。介護生活が始まった。
「僕が入院した部屋が看護師さんたちから“ラブラブの部屋”って呼ばれてて、おもしろかったな?」
「そうそう、私たち以外の3組は、旦那さんが喋れないくらい重度だったけど、奥さんたちがすごく一生懸命面倒みてたんだよね。ある時、私たちが籍入れてないって言ったら、3人に囲まれて『なんで籍入れへんの?』って詰め寄られて。ある奥さんは『結婚してみ、夫のことが可愛くなるから』って」
「その人は仕事の後、毎日看病に来て、2時間サスペンスを観ながら旦那さんの体をマッサージしてた」(務さん)
「それで『大変じゃないですか?』って聞いたら、『この人が元気で働いてる頃、本当にいい夫で、すごく良くしてもらったから、今やらないと絶対に後悔する』って。泣けるなぁって思いました。愛なんてないと思ってたけど、これが愛の風景か、と」(年季子さん)
一方、務さんは少しずつ快方に向かい、治療やリハビリを経て翌年の4月から自宅介護へ。その頃依頼されたのが、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の脚本だった。
「自宅介護しながら連ドラなんて絶対無理だって、最初は断ろうと思ったけど、今できないなら1年後もできないんじゃないかって思い直して引き受けました。お金も欲しかったし。でも全然書けなくて、10月スタートのドラマなのに、8月になっても1本も書けてなかった」(年季子さん)
「最悪の状態やったな」(務さん)
「それでもトムちゃんがベッドの上からいろいろアイディアを言ってくれて。腰もぐにゃぐにゃで座ることすらできないのに、本当に頑張ってくれた」
二人三脚で必死に書き上げたドラマがヒットし、「おかげで家のローンが組めた」という。介護設備を整えるため、現在住むマンションを購入することになったが、年季子さん名義でローンを組むには夫を保証人にする必要がある。そこで「早く入籍してください」と銀行から催促されるように。
「手術や入院の手続きもすべて“内縁の妻”で通したし、“ラブラブの部屋”の奥さんたちに言われても結婚しなかったのに、最後は銀行の人に急かされて結婚しました(笑)」(年季子さん)
「ほんと、めちゃくちゃな夫婦でしょう」(務さん)