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【木皿 泉こと 和泉 務さん × 妻鹿年季子さん】世話をするから大事になる、手放したくなくなるんです。【後編】

  • 撮影・青木和義

木皿 泉こと 和泉 務さん × 妻鹿年季子さん

前編はこちら
入籍しないまま15年ほど一緒に暮らした二人に、大きな転機が訪れたのは2004年の10月のこと。務さんが脳出血で倒れたのだ。務さん52歳、年季子さん47歳、『すいか』の脚本が向田邦子賞を受賞し、木皿泉としてもこれからという時だった。

「私が京都に遊びに行ってて帰ってくると、トムちゃんがお風呂上がりにパンツ一丁でいて。『早く着替えなよ』と言っても、なんか機嫌よく喋ってて、途中から喋りながらイビキをかき始めたんです。次の瞬間、バタッと倒れて、そのまま動けなくなっちゃった。その時は脳の病気なんて思いもしなかったから、どうしたんだろう?って。そしたら失禁してるのに気づいて。最初トムちゃんは救急車を呼ぶのをすごく嫌がってたんだけど、さすがに怖くなったのか、最終的には観念してくれた」
「トキちゃんが『救急車呼ばないでこのまま死んだら、一生あんたのこと恨むからね』って言ったんやった」

救急隊の人の説明で脳の病気だと聞いても、状況がいまいち把握できず、気が抜けたようにヘラヘラ笑ってた、と年季子さん。すぐに始まった手術は、予定の時間を大幅に過ぎても終わらなかった。トムちゃんが喋れなくなったら? 意識がないままだったら? あらゆる可能性を想像したという。
「そうしたら、なんだ、結局トムちゃんが生きてさえいれば幸せになれるじゃんというのがわかったんです。死んじゃったらもうこの仕事は辞めようかとも思ったけど、生きて帰ってきて、意識があれば、喋れなくても仕事はできるし、最悪意識がなくても、この人のイメージみたいなものがこの世にあるんだったらいいやって」
「トムちゃんの何がなくなったら私はつらいんだろう?」と考えた。
「それは、才能でも、人柄でも、ましてやお金でもなくて。一番手放したくなかったのは、トムちゃんのイメージだったんです。お風呂上がりみたいにほわーんとしてあったかい、“のんき”なイメージ。それに私はずいぶん助けられてきたし、それさえあれば生きていけるだろうなって思いました」

そしてこの時、自分なりの幸せの定義がはっきりとわかったという。
「どうなったら幸せかって、漠然とし過ぎてて、みんないまひとつ実感としてわからないんですよね。だからカタログみたいなのがあって、そこから選ぶように、お金とか地位とか、人が欲望するものに欲望してる。でも私は、手術室の前でよくわかったんです。トムちゃんと一緒に仕事ができる、それが無理でも一緒にいられることが幸せだって。人に惨めだと思われることでも関係ない。例えばそれが叶わなかったとしても、何が幸せかわかったこと自体が幸せなんだとも思いました」

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