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【木皿 泉こと 和泉 務さん × 妻鹿年季子さん】世話をするから大事になる、手放したくなくなるんです。【前編】

  • 撮影・青木和義

木皿 泉こと 和泉 務さん × 妻鹿年季子さん

神戸の街を散歩する二人。車椅子の調子が悪いようで、後ろに倒れないよう年季子さんが支える。

「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世。昔の日本人は、そう言ったんですよね。つまり、親子は今生限りの関係だけど、夫婦は来世でも一緒になれるかもしれないってことです」

夫婦の話を聞きたいんです、そう伝えて兵庫県・神戸に住む脚本家夫婦、木皿泉の二人の自宅を訪ねると、開口一番、妻の妻鹿年季子(めがときこ)さんがそう言った。夫の和泉務(いずみつとむ)さんが続ける。
「夫婦はそれだけ縁が深いってこと。でも、わざわざ他人同士がこれだけ一緒にいるっていうのは、考えてみればおそろしく不思議な話ですよ」

お互いをトムちゃん、トキちゃんと呼び合う二人は、共同で脚本を手がけるというスタイルで、数々のドラマを世に送り出してきた。仕事の浮き沈みや突然の病気、介護と、これまで歩んできた道は決して平坦ではない。

この日のメニューはステーキにサラダ、もやし炒め。パンは魚焼きグリルで焼いたもの。

壁いっぱいの本に囲まれた、自宅での昼食。ステーキにサラダ、焼きたてのパンと、おいしそうな料理が並ぶ食卓を囲んで、夫婦の会話は尽きない。
今年、務さん65歳、年季子さん60歳。結婚したのは10年前と、意外にも日が浅い。夫婦の歴史を振り返ってもらうと、そもそも二人とも「自分は絶対に結婚しないと思ってた」という。
「20代の頃は、誰かと住むのも、誰かのためにご飯を作るのも絶対嫌だなぁって。親からは、学歴もお金もない、顔も悪い、お前にあるのは若さだけだから、若いうちにしとかないと結婚なんかできるはずないって言われてましたしね」(年季子さん)
時代はバブルに向かう’80年代。女性は適齢期に結婚するのが当たり前というのが、世の中の風潮だった。
「学校を卒業してOLになると、周りはみんな結婚したら幸せになれると思ってて。でも、心のどこかでなんか違うってことにも気づいてた。同僚とお弁当を食べながら、いくらだったら売春するかって話になった時に、1000万でも嫌だわなんて盛り上がっていると、一人が『家を買ってくれたらいいかな』って言ったんです。確かにってみんなで納得してたら、誰かが『それって結婚じゃないの?』って。なんだ、結婚って男の人に家を買ってもらうことなんだって思ったら、妙におかしくて」
「『Q10』(木皿泉脚本のテレビドラマ)では、『お前の健康保険は俺が払う』ってセリフを書いたよね」(務さん)
物語の中で、婚活中の男性が同僚女性に、女の人は何がうれしいのか?と尋ねると返ってきた回答がそれだ。
「男女雇用機会均等法ができた頃だったけど、結婚は女にとってまだまだ保証みたいなもので、月9のような派手な恋愛をひととおり楽しんでから自分をだましだまし結婚して、その先には家事と育児と介護が待ってる、っていう時代でしたね」(年季子さん)

年季子さん自身は、親の勧めで何度も見合いをしたが、結婚が幸せなものとはどうしても思えなかったという。
「うちの両親はいつも喧嘩ばっかりであんまり仲よさそうじゃなかったし、結婚して人と暮らすのは、面倒を引き受けることだって思ってました」
一方、務さんはというと、
「トムちゃんは今も車椅子だけど、子どもの頃からポリオっていう病気で脚に障害があって、コルセットをつけて生活してたんだよね」
「そう、学校とかは普通に行ってたけど、うちの親は、障害者だから就職も結婚も大変だろうって心配してた」

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