これまでの人生を振り返って、「ずっと旅をしているような感じ」と二人は何度も言った。
「十五少年漂流記、みたいなね。僕らは漂流夫婦なんです」
「仕事も、結婚も、流れ流れて今に至る。老後の夢とか将来設計もなく、私たちはいつも目の前のことだけ、あんまり先のことは考えてないから不安はないんです。結婚生活に不安や不満がある人は、先のことを考え過ぎてるのかも。老後の安泰とか、子どもの成功とか。あとは人と比べてまだ何が足らないとか。でも、先のことなんて一人じゃどうにもならないじゃないですか。世間が決めた基準を達成できないから不幸、じゃなくて、幸せの定義にもっと幅を持たせていいと思うんです」
病気、結婚を経ても二人の関係はまったく変わらない。それは、一緒に積み重ねてきた「日常」があるからだと年季子さんは言う。
「病室でも、コンロ1つの1Kの部屋でも、スイートルームや別の星に行ったって、トムちゃんとはずっと同じ。“のんき”でつつがない日常って、どんな状況も飲み込んでしまうんです」
考えてみれば、これまで二人がドラマや小説で描いてきたのも、そんな日常の物語だ。
「夫を捨てたいとか、粗大ゴミみたいに言う人がいるけど、そういう人は日常とか生活そのものがつらいんじゃないかな。我慢に我慢を重ねてるから、夫も捨てたいし不倫もしたい。で、いつか幸せになりたい!って。でもその“いつか”に一人きりだったらつまんなくないのかな。それに私は、いつか幸せなのは嫌なんです。今、機嫌よくやりたいことやって、いい暮らしができるほうがいい。それはお金があるとかじゃなくて、冗談を言い合う相手がいて、へこんでる時は誰かが励ましてくれて、ひとりぼっちじゃない。そういうことじゃないのかな」(年季子さん)
「『女という生きものには、過去もなく、将来もなく、ただ一つ現在があるのみ』。池波正太郎の鬼平犯科帳にそんなセリフがあったけど、女の人は本来そうなんだろうなぁ」(務さん)