『やや黄色い熱をおびた旅人』著者、原田宗典さんインタビュー。「戦地で起きることは他人ごとではない」
一九九七年の夏――それは、私にとって“何だか柄にもない夏”であった。
作品の冒頭で原田宗典さんはそう記す。それは、柄にもなくテレビの仕事をしようとしていたからであり、しかもその仕事というのが、柄にもなく「戦争と平和」をテーマに原田さんがレポーターとなり世界の紛争地帯を旅する、というものだったからである。
撮影・大嶋千尋
「ナレーションだけのつもりで始めた仕事がいつのまにかそんな話になってしまいまして。でもこれを逃したらもうそんな機会も二度とないかと思い、半分死ぬ気で行きました」
旅の行程は約1カ月でエリトリア、スイス、セルビア、カンボジア、タイを回るという強行軍。訪れたのは、戦車の墓場、難民収容所、地雷除去の現場、まだ小競り合いの続く戦闘の跡地、無事に帰還できたからこそ笑って話せるようなところばかりである。
「カンボジアには浮遊地雷というものがありまして……」
浮遊地雷とは乾季の山にばらまかれる水に浮く地雷のことで、それらは雨季になると勝手に水に流されて国中を移動するものであるらしい。
「危ないから道の端を歩けとガイドに言われたって、ひとたび雨が降ればもうどこも危ない」
浮遊地雷は恐ろしい兵器であるが、本を読み進めていくにつれて思うのは、そんな兵器を考える人間の狂気が恐ろしい、ということ。
1時間半の番組に 収まりきらなかった旅。
セルビア人の男はある日を境にして難民になる。それまでは、都市に住んで、家庭があって、会社を営み、高級車に乗る生活。それが、民族の違いというだけの理由で、ある日、自分の部下から銃口を向けられるのである。タイの密林に日本人傭兵を訪れたときには、捕虜の首切りビデオを観るかと問われるも、原田さんは頑なにそれを断る。戦争はいとも簡単に人間を狂わせる。その可能性を人間は誰もが持っている。
ところで、この旅を体験したのが1997年で、この本を上梓した今が2018年。実はわずか1時間半の枠でオンエアされた番組の“薄味”が気に入らず、すぐに本にまとめようと取りかかった。いやいや、この旅はそんなものじゃなかった、と。ところが、2000年を過ぎたあたりで、パタッと筆が止まってしまった。
「3分の2くらいは書いていたのですが、どうしてもその先が書けなくなりまして……」
そして、そのまま寝かせていた原稿を15年ぶりに読み返してみると、これは面白い!と思った。
「このままにするのはもったいないなと。年月を経て、自分でも客観的に読めるようになったこともあるかもしれません」
原田さんは、長い間、書けない時期が続いた。それが、うつ病の苦悩や麻薬依存など、自身の体験に着想を得た小説『メメント・モリ』で実に10年ぶりの復帰を果たし、立て続けに小説『〆太よ』、そして本作の刊行となった。
作家の復活を、心から喜びたい。
『クロワッサン』985号より
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